【前回記事を読む】この世は戦場だ。世に生きるとは完勝すること――「異端児」は大罪人となった男の生き方に惹かれ...

天狗の申し子

阿片戦争は清国が違法として禁じている阿片を英国商人が南部の広州を中心に大量に持ち込んで法外の高値で売り、清国の銀を英国に持ち出していることが発端だった。

時の清国皇帝道光帝は、阿片流通を徹底的に根絶することを林則徐に命じて欽差(きんさ)大臣として広州に派遣した。林則徐は清国を支配する側の満州民族ではなく、漢民族の極めて優秀な官僚だった。

しかし、結局は道光帝最側近の満州人の讒言で左遷され、林則徐が赴任以来進めてきた阿片根絶策は根底から骨抜きにされ、阿片を持ち込む英国商人とその利権を世界最強の武力で保護する英国艦隊との決戦で惨敗した。

清国はその結果、南京条約を締結した英国の要求を無条件で受け入れる羽目になった。

その骨子は、

 ⃝英国が戦争の為に要した戦費全額を補償する

 ⃝英国商人の阿片を含めた貿易活動を無条件で認める

 ⃝香港島を一〇〇年間英国領土として割譲する

 ⃝広州以外に上海なども開港してそこでの貿易の自由を保障する

といったものだった。

松蔭は佐久間象山から世界地図を見せられながらこの衝撃の事実を聞かされたと言って、晋作にもその世界地図を見せた。佐久間象山はその上で「自分は海外に行けないから松蔭よ、おまえがわしに代わって欧米に行って自分の目で見てきてくれ」と何度も頼まれたという。

松蔭は続けた。

「しかし私は頭では何かとてつもない重大事だとは分かっても、実感が湧いてこなかった。だから現地に行って自分の目と肌身で感じ取ってくるしかないと思ったのだ」

こうした松蔭の行動に熱いエールを送った老人がいた。晩年の村田清風だ。

清風は五十二歳で藩主となった毛利敬親(たかちか)の信任の下、没落の危機に瀕していた藩を財政、軍事両面から抜本的に近代化する藩政改革の全権を委任された家老で、長州藩を薩摩に匹敵する雄藩に脱皮させた立役者であり、松蔭を積極的に庇護してきた長州の傑物だった。