「不知火さん、いい加減にしてもらえます?」
一息つくと、私は常々思っていたことを口にした。
「買い物やゴミだしぐらいなら、大変だろうと思ってやってましたけど、買い物だって坂道を歩いて上るの、重たくて大変なんです。宅配だってあるでしょ」
近くを、セミの声がした。汗がじっとり体の中でにじみでるのが分かった。
「なんでもかんでも、私に頼むの、勘弁してください。私だって、自分の生活があるんです。今日だって、仕事、遅刻じゃないですか」
「悪いと思ってるんだけど。前は、神代さんが、いろいろ手伝ってくれたんだけど、いなくなっちゃったしさ」
神代さんは、事故物件の前の居住者の名だ。その名前は聞きたくなかった。その名前を出した不知火さんに、一気に怒りが吹き出た。
「小さな買い物ぐらいにしてもらえますか。それ以外は、息子さんに頼むとか、業者に依頼するとか」
この前、一階に置いてあった車のナンバーがここから二時間以上はかかるであろう地域のものであったことが頭に浮かんだ。言い過ぎだろうかと思ったけれど、一度きちんと言わないとどんどんエスカレートするばかりだ。
「あたし、仕事がありますので、失礼します」
ぽかんと私の顔を見つめる不知火さんをおいて、靴を履き、入り口を出た。ドアがばたんと閉まる音を耳にしながら、職場へと急いだ。
それからしばらく、不知火さんから頼み事をされることはなかった。どうしているのか知らないけれど、今まで入り口に置きっぱなしになっていたゴミはなく、つっかけをはさんでドアが半開きになっていることもなかった。
私は毎日たんたんと職場へ出かけ、夕方になると、少しずつ買い物をして坂道を上った。セミの声は相変わらず周囲に充満していて、夏の日差しはどんどん強くなっていった。
不知火さんはどうしているだろうと気にならないではなかったけれど、下手に声をかけると、また以前のようにいろいろ頼まれるのは面倒なので、訪ねることはしなかった。
下から不知火さんの二階の窓を見上げると、窓辺にすっかりしおれた向日葵が、深くお辞儀したように頭をたれ下げているのが見えるばかりだった。
次回更新は3月1日(日)、11時の予定です。
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