【前回の記事を読む】「こんなとこ1分も居たくない」夫に対して、妻は「いいお部屋ですね。人が亡くなっただけで、家賃がお安くなるなんて…」
夜空の向日葵
ある日、セミの声がするなと思ったら、いつの間にか周囲はセミの声でいっぱいになった。私は相変わらず、仕事帰りに買い物をして、重たい荷物をふうふういいながら、暑さと陽の残る坂道を汗だくになりながら上った。
不知火さんは、やはり私の顔を見ると、なすびだの、ラップだの、いろんな物を買ってきてくれとメモを渡した。
不知火さんに会わないように、時間帯を変えて二〇二号室の前をそっと通っていると、二日後にはドアの所に大きな張り紙がしてあって、名指しで声をかけてください、とあった。
よっぽど素通りしてしまおうと思ったけれど、仕方なくチャイムを鳴らした。そうすると、待ちかまえていたと思われる不知火さんがしたり顔をしてドアを開けて出てくる。そんな日々が続いた。
近くでアブラゼミの大きな声がした。朝から汗ばむ陽気で、職場へ向かうため汗をかきながら階段を下りると、不知火さんが廊下に人待ち顔で立っていて、私の姿を見ると、嬉しそうにおはよう、と声をかけた。
おはようございます、と言って通り過ぎようとすると、
「少しだけいいかい」
と声をかけられた。うんざりしながらも少しだけなら、と返すと、家に入るよう手招きした。
お人好しな自分に呆れながら、靴をぬいで玄関にあがると、そこから見えるリビングに物がごちゃごちゃと置かれている。
「洗濯機はあるんだけど、毎日干すの、腰が痛くて。この前、隣町の電気屋まで一大決心して行って、乾燥機を買ったんだ。昨日、届いたばっかりでさ」
それだけではなくて、乾燥機とかかれた箱の隣には、もう一つパイプやねじがごちゃごちゃと置かれている。
「それは、洗濯機に乾燥機を設置する棚だよ」
腰の曲がった体で、どうやって組み立てたのか、ある程度まで組み上がっている。
「これを完成させて、乾燥機を洗濯機に設置したいんだけど」
私は耳を疑った。試しに乾燥機の箱を持ち上げようとしたけれど、重たくてびくともしない。
このような形状の物は、莉奈の家にもあって、万一、乾燥機を設置したとしても、洗濯機の上に設置された乾燥機に洗濯物を入れたり出したりするのは、身長の低い不知火さんには難しいと思われた。踏み台に乗ればなんとかなるけれど、落ちたら骨折しかねない。
「不知火さん、これ、私には無理です」
「そんな、なんとならないのかい」
「どうして設置業者を頼まなかったんですか?」
「だって、設置料に一万五千円かかるって言われたんだ。乾燥機と棚を買うだけで、一か月分の年金が飛んでしまったとこだったし」
お金がかかるというのには同情するけれど、なんでもかんでも私に頼むなんて無茶だ。
「息子さんに頼むとか」
「今度、息子が来られるのは、一か月後なんだよ。それなら、それまで洗濯物干すの、手伝ってくれるかい?」
時計に目を走らせた。走っても、特急には乗れやしない。今日は、会議の準備のために早く来てほしいと言われていたのに。
私の中で、ぷつんと糸が切れた。