自由解放軍を名乗りながら、統一規格の軍服を身に纏い、無個性の塊となるなどと、そんなことでは自由の使徒として失格ではないか。私が誰に相談するでもなく選び抜いた、この美しき孤高の私服。
自由とは、各々の孤高を解放し、個の解放区を打ち立て、独立を宣言することだ。ならば私がその先陣を切ろう。
……私はあの時、孤高なる言葉に浮かれず、冷静に判断を打ち立てるべきだったのだ。半端な孤高は、気高さを蔑ろにして、愚かな独断に堕ちるということを。
山の麓に伝家の宝刀ならぬフルアーマーで参じた私の視界は、一瞬にして絶望という名の霧に包まれた。
眼前に山神様が踏み荒らした跡かのように、緑が溢れかえっている。ジャージ。ジャージ。ジャージ。
どこまでも均一化されたダイダラボッチが、手足を投げ出して、その見えない身体がどこまでも広がっている。
殉職。散華。私は自由の忠実な下僕として模範的な行動を示しただけであるのに、戦地に身を投じる前に敗残兵と成り果てた。
同時に、私の中の現実主義者が、厳しく私を責め立て始めた。
そもそも、自由の忠実な下部とは何ぞや。自由に飼い殺しにされてるじゃないか。阿呆め。ハナから本末転倒じゃないか。云々。
しおりに「可」と書かれていたはずの私服は、たった数名しかいなかった。そして、私のような極彩色を提示する殉教者は皆無だった。
自由は死んだ。板垣が死んだから自由も死んだのだ。だとしたら、随分前から自由は死んでいたのだなぁ。
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