私の沈み方といえば、鉄というよりは鉛。そう、恥辱と後悔を身体に塗りたくって、煮えた窯でじっくりコトコト煮込んで、どんどん固まっていく鉛。
ひとたび湾に投棄されたら、もう浮上できないんじゃないかしら。カチカチ山で兎に挑んだ私の船は、泥どころか、そんな風な鉛でできていたのだ。
なんだって人は他人の目がこんなに気になるのか。私は人目が痒くてしょうがない。
あれはそう、学び舎を飛び出ての、屋外活動ってやつ。学年生徒が一様に、息苦しい校舎から這い出て、肺臓の中身を山の空気とすっかり入れ替えましょうって、束の間に与えられる自由と革命。我々は自然と対峙する独立戦争の解放軍として、目をランランと輝かせながら外路に足並みを揃えて軍靴を鳴らす。
否、軍靴といっても、事前に配られたしおりには、「服装はジャージ、あるいは私服でも可」と書いてあった。既定の軍服を強制される従軍ではなかったのだ。
やはりそこは自由解放軍。偉大なる凱歌をあげるための大いなる一歩。そこにも選択の自由がある。
その頃の私は、言うなれば「おしゃれ病」に罹患していた。
オレンジと白のボーダーのシャツ。真っ青なズボン、やけに目立つ派手なスニーカー。これが必殺の一張羅。
今思えばあれは、一張羅なんて殊勝な言葉で飾るには、あまりにも派手過ぎた。あまりにも過剰だった。まるで舞台衣装だった。
だが私はそれを誇らしげにクローゼットに掲げていた。うっとりと眺めては悦に入り、それだけでは飽き足りず、兎角、人に見せたくてたまらなかった。
行軍においては確かに、ジャージに一日の長がある。しかし、果たしてそれでよいのか。