一度、素朴な疑問を言ったことがあった。

「こんなにいいことをして自分にはいいことがあるの?」

「あるよ」

「それは何?」

「続けていれば、いつか分かるよ」

と教えてくれない。そんなにいいことがあるなら探してでもいいことをするのだけれど毎日となると難しい。

何のいいことがあるか分からないのにいいことをするのは苦痛でしかない。きれい事と言われもする。だから、自分の家の家訓が「一日一善」だとは友達には決して言わないようにしていた。

両親は、一日一善をして必ず日記につけていること以外は至って普通の小市民だった。

家の炊事、洗濯は主にひふみが、掃除や力仕事は善行が分担していた。二人は、一日一善さえしていれば後のことはどうでもいいと思っているふしがあった。

普通、発育していくにつれ「こんにちは」とか「ありがとう」の挨拶から始まって礼儀作法などの躾をするものだが厳しく教えられた記憶がない。

そのくせ自分たちは必要以上の大声で“おはようございます!” “ありがとうございます!”とバカの一つ覚えみたいに挨拶、感謝のオンパレードだった。

幼心に“ちゃんと教えてよ、一日一善しか知らない一善バカになったらどうすんのよ”と思っていた。

渚は、この家にいたらダメな人間になるかもしれないと恐怖した。だから、世間で言うところの礼儀作法や常識に逆に敏感になって友達や先生に尋ねたりした。

例えば、『友達の家に行ったら玄関で靴を揃える』も知らなかった。本当にこのまま大人になって常識のない人と後ろ指さされるかもしれないと礼儀やマナーなどの常識は意識して吸収した。

もし、両親がそのことを分かっていてワザと教えないとしたら恐ろしい高等技術だったが、渚は“それはない! ない!! ”とかぶりを振った。