私の登山歴
私の登山歴は大学生のころ、槍ヶ岳や九州の最高峰、屋久島の宮之浦岳、北海道の屋根と言われる大雪山の山々など深田久弥の百名山を10山登っただけの登山歴しかないが、それでも、一つ一つが思い出深く、年をとっても鮮明な記憶として残っている。
1960年の夏であったと思う。その年は安保反対運動が頂点に達し、この運動に参加した人びとがたくさんいた一方で、いわゆるノンポリといわれ、安保反対運動には背を向けていたものも少なくなかった。
ノンポリの情熱は山岳部やワンダーホーゲルに向けられていた。私たち医学部のフラテ山の会の面々は十勝平野側から大雪山の裏庭から流れ出る川をさかのぼって大湿原が広がる沼の原をめざした。
尾根にとりつく前に川の中州にあった仮設の避難小屋に辿り着いた日から、天候が悪化し、猛烈な台風による暴風雨にみまわれた。
幸い中州を飲み込むほどの雨量ではなく、 3日後には晴天に恵まれ、我々は沼の原を目指して出発することになった。渦巻く激流にロープを張って40キロもある荷を背負い、流されたら一貫の終わりだと覚悟を決め何とか尾根に取りつくことができた。
途中、ヒグマの湯気の立っている糞に恐れおののきながらようやく沼の原に辿り着いた時、驚くべき風景に驚嘆の声を上げた。本来は大小の沼が点在する湿原である
が、なんとあたり一面、水が溢れ、登山道は水底に沈んでしまっていた。満々たる水量が広大な沼の原を巨大な水瓶と化し、沼の原の入り口が低い土手になっていたので、大量の水量がせき止められて、自然にできたダムとなっていたのである。
台風がもっと大量の雨をもたらしていたら、ダムが決壊し大量の雨水が我々の避難していた中州の仮小屋は飲み込まれていただろう。
大雪山の縦走で最後に辿り着いた黒岳の北斜面の樹木が何ヘクタールに亘ってなぎ倒されていたのを目にして、襲ってきた台風の威力に驚嘆したのである。