味噌、醤油、油、ろうそく、などを製造販売するには、座に許可料を払わなければならなかった。誰が何を作り何を売ろうと自由である、ということだ。これによって稲葉山城下は多くの業者が蝟集し、大いに繁栄した。
信長はまた道路を整備した。戦国時代の道路は、自国の城に攻めこまれるのを防ぐ為に、道幅が狭く、凹凸(おうとつ)のはげしい難路が多かった。信長は道路の幅を広げ、平坦に整備した。
これによって軍隊の移動を速(すみ)やかならしめ、かつ商品の流通も便利になった。敵の軍勢に容易に攻めこまれるのではないか、などというマイナス思考は、信長にはなかった。
なお云うまでもないが、楽市楽座による城下の繁栄、流通ルートとしての道路の整備により、信長は多額の徴税が可能になり、つまりこれが軍資金となった。
また信長は各国にあった関所を、自分の領国内で撤廃(てっぱい)した。関所は、通行する時に通行料をとる。これは結局、商品代に上乗せされ、商品は高くなる。
また当時の戦争は農閑期に行われ、農繁期には武士は耕作に従事した。信長は戦闘専門の武士団を作り上げた。いわゆる兵農分離である。以上は、いわば、信長による改革の教科書的な記述だが、信長には細かい面もある。
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