ただ私としては、人間レベルにおいて、因果応報もある、という前提で、ささやかな執筆を続けるつもりである。

手塚誠臨 恐惶謹言

織田信長

織田信長 1

織田信長は、戦国乱世の狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)に廻(めぐ)らした三雄の最初の一人である。その切り開くという役割のせいか、過激である、という批判はまぬがれないだろう。

人間五十年

下天のうちを較(くら)ぶれば

夢、幻(まぼろ)しの如くなり

一度(たび)生を得て、滅せぬもののあるべきか。

この敦盛の幸若舞を舞うように、戦国乱世を生きぬき、その本能寺における最後も、天下を驚かすカタストロフだった。

信長は中世の価値観、思想、を一変する異能を授けられていた。まず、根本思想をあらわす旗印に永楽銭を用いた。「我こそは何のなにがしなり」と名乗りをあげて一騎討ちするような中世的な戦争、戦闘観から、経済力と武器の戦いにした。

鉄砲さえ持てば、足軽でも武士を倒すことができる。従って、信長の戦争観は、経済力が鍵であり、それを端的にあらわしたのが、永楽銭の旗印である。

信長は、井の口、という名だった稲葉山城下の町の名を、岐阜と改めた。これは周の文王が岐山の麓(ふもと)に建国した故事に由来している。この二つをあわせると、信長のモットーは、「経済力で天下を取るぞ」ということではないか。

稲葉山城下では商人あがりの齋藤道三の時代から楽市楽座を行っていた。信長は美濃の国の支配者になると、これを大々的に拡大した。楽市楽座とは、現代でいえば規制緩和である。市は市場だが、座とは同業組合である。