その晩は、清十郎と平蔵(へいぞう)こと山崎平蔵とのいつもの三人でめし屋で飲むことになった。
「ひと月ぶりか。直参(じきさん)のわれわれでもなかなか外で飲むゆとりがなくなってきたな。特に白河(しらかわ)侯の世になってから生活が急に窮屈になってきたような気がする」
「又兵衛の言う通りだ。何が何でも質素倹約だからな。金が回って来なくなった」
平蔵も相槌を打つ。巷(ちまた)では、松平定信(まつだいらさだのぶ)公こと白河侯の政(まつりごと)を「白河の清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼(たぬま)恋しき」と皮肉った落首も出ていた。
平蔵は又兵衛と同じ小普請で七十五俵五人扶持だが、妻女に加え妹菊江(きくえ)も養っているので決して楽な生活とは言えない。以前勘定方(かんじょうかた)にいたが今は無役で家で妻女と手習(てならい)(寺子屋)を開いている。
かつて平蔵夫婦には娘が一人いたが流行病(はやりやまい)で失った。まだ可愛い盛りの三歳だった。
熱が出て診(み)てもらった医師が「単なる風邪だろう」と見立てて風邪薬を置いてそのまま帰った。だが、その後娘は急変して熱に浮かされるようになり夜明けを待たずに逝ってしまった。夫婦は医師を恨んだが、もとよりそれで亡くなった娘が戻ってくるはずもなかった。
その後夫婦に子ができる兆しはなく、しばらくして手習を開いた。小遣いかせぎということもあったが、亡くなった娘の代わりに子どもたちを見てやりたいとの思いからだった。
「ところで、又兵衛。菊江とは今も会っているのか。時々身繕(みづくろ)いをして出かけていくが」
菊江が折に触れ菜を持って又兵衛の許にやって来るのは事実だった。昨年の秋は二人で神田祭を見にも出かけていた。
「ときたまだが、ありがたいと思っている」
又兵衛は素直に答えた。