はじめに ―危機対応の原点は、攻める側も守る側も同じ―
広報という仕事の中に、危機事案の広報という突然起こる「やっかいなもの」があります。しかも失敗のダメージは計り知れない、重要な仕事です。
しかし「いつ、どんなことが起こるかわからない」「実際に経験したことがない」「どんな準備をしたらいいのかわからない」などわからないことだらけです。
一方で、広報の仕事は会社の商品やビジネスのリリース、取材対応と、日々やるべきことが目の前にたくさんあります。いつ起こるかわからない危機対応広報についてどうしたらいいのかを考え、準備する余裕がないというのが実態だと思います。
「今は、まだいい、ちょっと落ち着いたら」と後回しになり、心の片隅に心配の塊が残ったままになってしまっているのではないでしょうか。
でも、日々の広報の仕事の中での「気づき」次第で、危機対応で一番大事な世間(メディア)の目で事案を見ることができるようになります。
私は、大阪の放送局に入社以来24年、事件、事故を追いかける記者として、警察担当だった時のグリコ・森永事件から阪神・淡路大震災の取材などを、その後は経済部デスク、部長として、バブル崩壊、金融危機の時期の金融機関や企業の経営破綻を追いかける日々でした。
報道マンとしては、どこのメディアも取り上げない世の中の裏側を探り、明らかにすることにやり甲斐を感じる、取材される側から見ると面倒くさい記者でした。
ところが経済部長から一転、取材される側の広報部長に異動。取材先だった企業の広報の方々に「ついにこちら側に来たね」と揶揄(からか)われましたが、「広報ってね」と大手企業のベテラン広報部長に色々と教えてもらいました。
放送局は、残念ながら番組での「やらせ、誤報、不適切発言」などの問題事案から、社員の不祥事など危機事案の多い業界で、当時は年に1〜2回ぐらいは何らかの危機対応広報をしなければなりませんでした。
一般企業の広報なら考えられない頻度ですが、これが今の私の貴重な経験になっています。その後、総務や人事も担当しましたが、これらの部署も危機対応の事案は数多(あまた)あり、結局なんらかの形で危機対応・広報を19年近く担当したことになります。
会社を退任後は攻める側、守る側の両方の経験を評価してもらい、企業や学校の危機対応広報のアドバイザーをしています。様々な業界の危機事案について、これまでとは違った角度から向き合っています。