カンテを回り込む手前で川田が後ろを振り返ると、立ち往生していたリードクライマーは、鬼島と川田が登ったラインを目指して右方向へトラバースを始めていた。ルート取りをミスったことに気づいたのだ。川田は何だかホッとするような思いであった。

池ノ谷側の側壁に出て、さらに二十メートルほどノーロープで上がり、鬼島は動きを止めた。そこから先はいよいよ岩壁が切り立っており、ロープで確保しなければ登攀できなかった。

川田が鬼島に追いつくと、鬼島は既にしっかりとした潅木にスリングを巻きつけて支点を作り、それにデイジーチェーンを繋いでセルフビレイを取ったところであった。そして「ロープを出そう」といってザックを下ろした。

凍てついた風は時折強く氷化した岩壁をさらい、そのたびに白く流れる吹雪が目を掠め、視界を狭めた。青白く、乳化した雲は、低くこの岩壁を圧迫し、掴みかからんとばかりにビョウビョウという音を立て流れていった。

黎明は過ぎ、東の空で輝き始めているはずの太陽の光も熱も、この剱の稜線に厚く纏わりついた雪雲に遮られ届くことはなかった。昨日までは燦燦と降り注ぐ光線を照り返し白銀に瞬いていた山稜の雪面にも、今日は無機の冷酷以外を見て取ることはできなかった。

厳しい登攀になりそうであった。しかし、何としても今日中に三ノ窓までは達しなければならない。

達しなければ敗退であった。敗退となれば、明日の疑似好天の間に尻尾を巻いて今まで登ってきた道を一目散に下るしかない。

次回更新は1月16日(金)、8時の予定です。

 

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一瞬の烈風、雪面を掻きむしる音と悲鳴。雪煙とともに池ノ谷めがけて滑り落ちていく男二人。「鬼島さん!やつら落ちましたよ!」

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