ただの水筒に水を入れても、厳冬の山ではすぐに凍ってしまう。一旦凍ったら最後、下山するまで溶けることはなく、そうなっても捨てるわけにもいかないのでザックの重量を増すだけの代物になってしまう。サーモスは湯の温度を保つだけでなく、すべてが凍りつく厳冬期の山で、生きるために必要な水分を水のまま保存しておくための大切な道具だった。

食事を終えると、鬼島が外の様子を見るためにテントの入口から顔を出して辺りを眺め、「行けるな」と言った。

弱いとは言え吹雪なので、五時の気象通報はテントの中で聞くこととした。昨朝の予報に比べると、寒気は予想より少し早く日本列島に近づいていた。

「寒気が来るのが早まっているな……」

鬼島は気象通報を聞き終えると、しばらく思索した。天気が予想より早めに推移しているのであれば、明日予想されている疑似好天のあとの寒波襲来による大荒れも早めに到来するということだった。

そうであれば、現時点で進退を検討しなくてはならない。先に進むか、停滞するか。あるいは退却するか。

しばらく無言で考えていた鬼島が顔を上げて川田を見た。

「今日次第だな。今日中に少なくとも三ノ窓まで行ければ何とかなる」と鬼島は言った。三ノ窓まで達すれば、翌日は疑似好天であるから、その好天のうちに剱岳の主稜線に上がり、頂上を越えて一気に早月小屋まで下りることができる。

「でも、疑似好天は半日程度だろうし、そのあとは強烈な冬型ですよね。もし、行けなかったらどうしますかね」

「まあ、その時に考えよう。一気に安全圏まで高度を下げるか、それでも抜けられずに悪天につかまりそうだったら、早めに行動を停止して雪洞を掘って、その中にテントを張ればドカ雪も何とか凌げるさ。二、三日閉じ込められるかもしれないが、まあ雪に埋まらないよう雪掻きしまくれば死ぬことはない」と鬼島はラジオをしまいながら言った。

次回更新は1月15日(木)、8時の予定です。

 

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