私は同僚達からの話で、山梨工場が日本製紙赤羽工場へ移転することを知った。山梨工場で使っていた機械を東京の赤羽本社工場へ移動することが決まり、赤羽本社工場から機械課課長を始め数十人の技術者が来て、機械の取り外しや運搬を山梨工場の社員とともに行った。
そして希望者は機械と一緒に東京に行って赤羽工場で働くことになった。東京に出発する日がやってきた。荷物は布団袋と行李一つを後から送ることになった。バス停まで、家族や親戚が見送りに来てくれた。
中央線の日野春駅から汽車に乗り、赤羽の本社工場に着いた。寮がまだできていなかったので、赤羽工場近くの高砂旅館から工場に通った。
東京で機械と向き合う私の人生は、こうして始まった。
コラム 柳澤の歴史
元禄時代に大老として幕政を主導した柳沢吉保。私が生まれ育った柳澤地区は、その柳沢吉保の先祖が本拠地とした場所だ。柳澤の地名の由来は、古い記録によれば、柳の大木があったからだという。
江戸時代の地誌『甲斐国志』には柳沢氏屋敷の存在について記されているが、大武川の度重なる水害によって地形が変わっていることもあり、正確な所在地はわかっていない。
しかし柳澤の歴史を守ろうという有志達の調査と研究により、「柳澤氏発祥之地」の石碑が二〇一〇(平成二十二)年に建てられた。現在残っている柳澤氏の遺跡は、一四九六(明応五)年に建てられた六地蔵石幢だ。六面に地蔵尊像が配列されている石幢で、北杜市文化財にも指定されている。
町村合併
私が小学校を卒業するまでは、山梨県北巨摩郡字駒城村柳澤という地名だった。しかしその後町村合併により駒城村はなくなり、武川村と白州町の二つに分かれた。私は駒城小学校に通っていて本来なら駒城中学校に進学するはずだったが、町村合併で駒城中学校がなくなったため武川中学校に行くことになった。
町村合併の時は、駒城村が武川町と白州町のどちらにいくのか町中が大騒ぎになったが結局武川町の方に決まった。
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