【前回の記事を読む】16歳で入った工場で機械が故障! 同僚も上司も尻込みする中、自ら修理に名乗り出た。だが機械から高圧電流が流れ――
第一章 機械と向き合う人生の始まり
台風襲来
それでも何とか鐘を鳴らし続けたが、同僚がもう逃げようと叫ぶ声で後ろを振り返ると、なんと土石流が迫ってきていた。
土石流は大雨の影響で山や川底の石などが大量に谷間や河川に流れ込み、土砂や岩石がどろどろの状態で流れ落ちる現象だ。山津波とも呼ばれ、地域の人達は昔から恐れていた。
一旦土石流が発生すると、数十トンもあるような巨大な岩石が流れてくることもあり、非常に大きな被害になる。その時も根っこごと引き抜かれた大きな木や家の屋根、家財道具などいろんなものが真っ黒な土に押し流されてきた。
急いで火の見やぐらを駆け下り、水だ逃げろと叫びながら我が家に向かって走った。家に着くと、すぐに弟と妹と牛一頭を連れて、前の山に逃げた。田んぼの細いあぜ道は、各家からぞろぞろと逃げてきた人でいっぱいだった。
山の高い木に牛をつなぎ家の方見ると、父と母がまだ家にいたので、すぐに駆け戻り逃げるように言った。母は、米を持っていかなくてはと米びつから袋に米を詰め替えているが、恐怖で手が震え米粒がぼろぼろこぼれてしまう。もういいから逃げようと、私は母の手を引っ張って家の外へ連れ出した。
しかし父はここまでは水が来ないから大丈夫だ、残って家を守ると言って動こうとしない。何度言っても逃げようとしないので、父を残し、弟と妹と山の牛を連れて高台に避難した。
高台の近くの集落には、母の知り合いの家があり、私達はしばらくそこに身を寄せた。同じように避難してきた家族が他にもたくさんいた。その家ではいろりで体を温めさせてもらい、お茶もいれてもらった。
まもなく台風は去り、青空が見えてきた。南アルプスの山々は所々山が崩れ、まるで雪が降ったように白くはげていた。もう大丈夫だろうと家に帰ると、建物は無事で父が迎えてくれた。
家族全員無事だったことを喜びあった。停電も数日続いた。道は石と土砂で寸断され、橋は全て流されて一週間後に河原となった道を作りながら自衛隊が到着するまで、集落は陸の孤島になった。
しかし本当に被害の大ききがわかったのは、それからしばらく経ってからだった。大きな石があちこちに転がっていて、人家があった所に川ができていていた。
大きな石の河原となった。行方不明になった身内を下流の富士川まで探しに行った人もいた。集落ごと消えてしまった地域も多く、本当に悲惨な状況だった。
私が働いていた日本製紙山梨工場も浸水し、機械の一部が砂で埋まっていた。