ただ彼の求めに応じ人形のような姿でした。
⑥ 悲しい女
昭和五十九年の夏。私は就職して二十年を過ぎ、職責に役職の肩書きが付いていました。出産予定日は、仕事が一年中で一番忙しい時期と重なります。
その上、長男が小学校を卒業し、中学に入学します。年齢も四十歳になっていましたので、またもや産む決心がつきませんでした。人として母として、してはならないことです。
私は苦しみ、自らの心を責め凍らせていきました。その後も十何年、彼との夫婦生活は、互いの心が通わない、ただ彼の求めに応じ人形のような姿でした。恐怖にもなっていきました。
子供のいのちを葬るということは、私ばかりでなく、彼にとってもやはり心の中では、重く尾を引いていたのだと思います。互いに大きな心の傷となり溝を深めていく原因となったのではと、今にして思います。何とバカな罪深い女でしょう。
自立(※)し、自律もできない、哀れで、悲しい女の姿です。
(注※ 自立とは、他の従属から離れて、支援や助力を受けず、独り立ちすること。自律とは、外部からの制御を脱して、自分の行動を自分で立てた規律に従って正しく規制すること。哀れとは、気の毒で同情するような状態。悲しいとは、もの悲しく寂しい状態)
【次回】
その七 「家族病彼が膵炎で十数回入院を繰り返したこと」について綴ります。