【前回の記事を読む】大手電機メーカーへ入社3年目、弱冠20代でアメリカを経験。まだシリコンバレーが一面の果樹園だった頃だった。

まえがき

今から半世紀前に、日本の電機産業は、世界最先端をリードするAIデジタル技術や炭素の商用化を実現していたのである。

そして、20世紀最後の1991年からの9年間、日本の超大企業・東芝の、全社経営戦略、21世紀のデジタル戦略計画(Advanced-I)、IoTによるデジタル生産、ネット調達や環境対策、そして、M&Aによるグループ連結経営の再編に取り組んできた。

このように、私は東芝で、日本の戦後における高度成長の一翼を担い、2000年度には売上6兆円/年、グローバルの従業員数約20万人となり、その6月にバブル崩壊後の成長を見届けて常務を退任し、東芝での現役を終えた。

直後、米国の投資ファンド・リップルウッド社の社長から要請され、同社の日本事業に参画。日立製作所が最大の株主だった、美空ひばりさんで一世を風靡した日本コロムビア社を買収して、アメリカの東海岸の金融政策を駆使した経営再建に取り組んだ。

当時はハゲタカファンドと呼ばれたりしていたが、日本における投資ファンドの黎明期であり、この金融政策が日本の経営者の常識を全く覆すようなプラクティスで展開されていることを目の当たりにして大変ショックを受け、日本企業はこれでは勝負にならないと思ったものである。

その2年後、2002年5月に、債務超過になって倒産の危機にあった売上約3000億円/年のケンウッド社の再建を、決算発表の1週間前に頼まれた。

リップルウッドで取り組んだ米国東海岸の金融政策から、借金を資本に変えるDES(Debt Equity Swap)など、日本で初めての資本財務戦略を次々に展開して、半年で債務超過を解消した。

同時に本業の転換も進めて、着任9ヵ月後の2003年3月期に純利益史上最高益、株価5倍となった。

このことが世界のマスコミに取り上げられ、2003年10月2日発行の米国『Dowjones誌』に、安倍晋三元首相、元経済・財政大臣の竹中平蔵氏や元トヨタ自動車社長の張富士夫氏などとともに、日本をFix(復活)させる10人の「Maveriks(異端者)」の一人として選ばれた。

さらにリーマンショック直後の2008年10月、1兆円企業を目指して、松下電器(今のパナソニック社)の傘下にあった日本ビクター社(JVC)と統合してJVCケンウッドを設立。