1月8日 あけおめ
チカゴロじゃ、何でも省略だよ。「新年あけましておめでとうございます」も、「あけおめ」で、すべて終わりだそうな。
バカな風習にいつまでも囚われていないで、あっさり、すっきり、カンタンに済ませておこう、そんな世の中でございます。
葬式、法事、お墓、お寺、神社、いろんな地域でのお祭りや、共同作業、そんなんが今、どんどんなくなっていってるよね。
そりゃあ、お寺さんなんか、友人の坂倉さんたちが檀家総代となって、懸命にお金集めて、お寺を維持していこうとしてるけど、最近の若い世代の世帯の子にすりゃ、「何で、そんなもんにお金出すんだい? 税金じゃないだろ?」ってことになるよ。
葬式なんか、義理事じゃなくなってしもうたよ、葬儀屋さんのビジネスになってしもうた。
それでいいじゃないか、田舎の因習なんか、どんどん排除していかなきゃだめだよだろう。
ただね、やっぱり、違った目線で、アタシャ考えてしまうんだよ。何でもさ、1回やめたことは、今度は復活が難しいんだよ。
ヒャクショウだって、ショウジキ、野菜なんて買ったほうが安いし、そもそも、楽なんだな。でもさ、守ってきたもの、続けてきたこと、それの大事さってのを感じなくなったとき、人は、何を支えに、これからの未来を生きるんだろうね。
爺ちゃん、婆ちゃんが、鍬で守ってきたものは、オイラの時代だけでも、守り通したい。
先日、下の娘が、「2025年滅亡論ってのを、どっかの誰かが言ってる」って、しゃべってた。上の娘はそれを聴いて、「みんなが死ぬんやったら、ま、しょうないわな、今のうちに貯めた貯金、使ことこかなぁ」などと言ってた。
さ、未来などなくとも、とりあえず、守るべきものは、守ったほうが……いいと、思うのだぞ。
京都浄瑠璃寺の建物様式はえらく古いそうだ。百年、っていう数字を何度も何度も、繰り返してる。守り抜いてるんだね。
それなのに、チカゴロじゃ、百年どころか数年で、何もかもチェンジだよ。そんなんが、続くはずもないとオイラは思う。
守っていかなきゃ、何もかもが……消えてゆく。そんな世は、オレは……いやだな。
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