しっかりと私のライフワークとなって根を張っています。その頃の私は、母の大きさに沈みそうになりながら自分探しをしている若い時代でした。
保育の仕事をしながら、「絵が描きたい」というモチベーションを持ち続けてきました。「絵を描きたい」と思う気持ちがあればこそ、仕事も子育てもやりきれたのだと今感じるところです。
なぜそんなに絵が描きたかったのかよくわかりませんが、絵を描くことを続けたかったのです。それほどの才能があるはずもないのに、自分のしたいこと、やりたい気持ちの方が強かったですね。
「好きこそものの上手なれ」を信じてました。続けられるのも才能の一つと思っています。今も「継続は力なり」ということわざを信じています。
保育士の仕事は、私の絵を描くことを経済的に助け、そのおかげで継続することができたのです。保育士の仕事があったからこそ、絵を描き続けられたことは間違いないのです。その面では、母に感謝をしなければいけません。先見の明があったのだと思います。
しかし私は、美大への憧れを持ちを続け、仕事をしながら、子育てをしながら、美大に行きたい夢を、通信教育という手段で、実現しました。10年かかり何とか卒業しましたが、そこで得たものは、絵を描く技術ではなく、“描きたいと思う気持ちが、作家を育てるのだ”ということでした。
美大を出たというプライドだけでは、私が思う素晴らしい絵はできないことを学んだのです。絵を描く技術は、自己研鑽に尽きるということを学びました。ただ美大を卒業したいという憧れだけだったのです。ないものねだりだったのです。
美大では、芸術に対する視野を広げる教育をしていただきました。
中でも「東洋美術史」は手ごわかったけれど、特にアジアの美術に興味を持つきっかけになりました。
インド美術のガンダーラ美術、それから中国、日本と歴史が流れ、芸術の文化が、引き継がれ流れてきたことを、壮大なスケールの「東洋美術史」から学びました。本や資料だけの世界なのに、そのスケールの大きさにワクワクしました。
それから、お寺にいくと、仏像のお顔の違いにとても興味を持つようになりました。まずは、仏像のお顔のカタチや目の大きさをじっくり見るようになりましたよ。
美大の卒業という実績は、作家になるための磨き方を学び、私の専門家としての自信になりました。10年かけて、卒業した意味はあったのです。
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