【前回の記事を読む】宇宙はなぜ存在するのか――60年に及ぶ探求の果てに下された“神の答え”とは
1.神の創造の奥義
(1)
もう30年程も前になりますが、故郷の父親に手遅れのがんが見つかり余命半年とのことでしたが、2年近く存命してから亡くなりました。幼少時から父親による理由の分からない酷い誹謗や悪態や攻撃に長く苦しめられて育った私は、父親に嫌悪感があり大きなわだかまりを持っていました。
それでも遠く離れた故郷まで妻子と何度も足を運んで見舞い、医療機器を贈ったり抗がん作用があるという健康食品を贈ったりしていました。しかし薬石効なくついに最期の日が来ました。死亡当日に勤め先まで危篤の連絡が来ました。しかし私自身の仕事の他、妻の英語塾の仕事や、高校生の息子の定期試験などが重なり、どうしても当日に駆け付けることが出来なかったのです。
翌日一番の飛行機に乗り実家に辿り着いた時には、父親は既に亡くなって病院から家に戻ってきていました。それから葬儀の終わるまでの数日、これは父親の仕業に違いないということが幾つか起きました。段ボール箱に入れておいた近所のスーパーで買った魚介食品のビニール袋の片方の端が、ハサミで切ったようにきれいに斜めに切り落とされ中身が漏れ出ていたのです。勿論私が購入した時には何の損傷もないことを確認していたものです。
通夜の後に私の実家まで一人の会葬者が乗り込んできて、通夜の食事でも酒を随分飲んでいたのにさらに座り込んで酒食を要求し、酔った勢いで悪態をつき出したこともありました。近所の人らしいが私自身は話したこともないし、顔も知らなかった。攻撃の主な対象は私で、容貌のことや振舞いのことなどをネチネチと難癖をつけ出して長時間帰ろうとしない。その人と話したことすらない私がなぜ難癖をつけられるのかまるで分かりませんでした。
あまりにも迷惑なので誰かがその酔っ払いの家に電話して奥さんに連れ帰ってもらいました。田舎のこととはいいながらも非常識過ぎることでした。これらは死んだ父親が直接手を下し、また酔っ払いに憑依して操り私を困らせようとやったことに違いないと直感しました。
死に目にも会いにこない酷い奴を懲らしめて困らせ思い知らせてやろうという捻じ曲がった自分本位な考え方で、生前の父親の行動そのままでした。遠く離れて暮らしていれば、死に目に来てもらえないかも知れないし、それは覚悟しておかねばならぬことなのだ。亡くなる2週間ほど前にも一家で故郷まで見舞いに来てこれが最後になるかも知れないと感じて息子には父親の手を握らせて別れたのでした。
しかし父親のような冷静に物を見られない自己中心的人間にとっては、俺が死にかけているんだから、皆放り投げて1000キロ飛行機に乗って来てくれるのが当たり前だ、来てくれぬとは何と酷い奴だ、困らせて思い知らせてやるぞ……ということだったのだろう。