【前回の記事を読む】草原にある小さな集落。そこでは遊牧民が"ゲル"と呼ばれるテントで生活をしていた。しかし、穏やかな暮らしは突然奪われてしまう…

第一部 草原の風

一 白昼の襲撃

(一)

実は、小さかったリョウには難しすぎて、そんなことはよく覚えていなかった。

しかし、長安を追われ、遥か北の長城(北方騎馬民族の侵攻を防ぐための城壁)外で暮らすようになって間もなく、祖父が亡くなったという知らせが届いてからというもの、母がそんな祖父の言葉を、リョウやシメンが忘れないようにと、繰り返し話すようになっていたのだ。

雲の羊たちが陽を遮った。急に冷たくなった風が、リョウの耳に遠くの馬の蹄の音を運んできた。リョウはその風が伝える何か嫌な気配に身を起こした。

リョウがいるのは、低い丘を上った所で、集落からは少し離れている。集落の向こうに見える低い岩山の陰から砂塵が上がったかと思うと、十数頭の騎馬が現れ、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。

それは武装した軍団であり、後方には槍を持った歩兵の集団も駆け足でついてきている。総勢は百人近くにもなるように思えた。

黄河の大屈曲部の内側(現在のオルドス地方)にあるこの地では、北の遊牧民である突厥(とっくつ)1の勢力と唐王朝の勢力が接している。

唐と突厥は長年、抗争と友好関係を繰り返してきたが、今の皇帝(廟号(びょうごう)「玄宗」2)の時代になって、突厥は本拠地を北方に移し、緊張関係は緩んでいた。最近は交戦することもまずないと、リョウは父から聞いていた。

しかし、今、遠くから駆けてくる軍団の速さは尋常ではない。リョウは素早く立ち上がると自分の馬に飛び乗った。あの軍団が集落に着く前に、父たちに異変を知らせなければいけない、その一心だった。

リョウは、この草原で暮らすようになってから乗馬を覚えた。都会育ちのリョウは、遊牧民の子らと比べれば乗馬を始めたのはずいぶん遅いが、ここ二年でめきめきと上達し、今では裸馬に乗って弓で動物を追うこともできるようになっていた。

そのリョウが全速力で馬を走らせ集落に着いたとき、すでに大人たちは異変に気づき、慣れた手つきで防御の体制を作りつつあった。ソグド人と漢人がともに暮らすこの集落は、遊牧民族がそうするように、ゲルと馬柵だけの開放的な作りである。

一方、それでは落ち着かない漢人の意向も汲み、西の川と東の岩場、そして北に林のある地形を利用し、南側の狭い入り口には先端の尖った棒を連ねた柵を並べた、砦のような趣も持っている。

その柵の間の狭い入り口に、隊商が防御の陣を敷くときと同じように、荷車を盾代わりに並べている。忙しく動き回る中心にいるのは、集落の頭目であるリョウの父だった。