第1章 日本人の精神を検証する

人を大事にする 国民性を思い出す

毎週月曜日、NHKテレビで放送されている『鶴瓶の家族に乾杯』という番組があります。笑福亭鶴瓶さんとゲストの方々がアポイントなしで日本各地に赴き、そこに暮らす人々を訪ねて歩きます。この番組が大好きという人は多いと思います。

放送後、ほのぼのとした余韻にひたる人は多いでしょう。日本っていいなという感想を抱かせる番組のひとつではないでしょうか。鶴瓶さんの人柄もあり、穏やかで笑顔の素敵な日本人ばかりが登場します。すでに300回以上放送されていますが、私はこの番組にいつも癒されます。

番組に登場する人々はみな一般的な日本人であり、誰もがさまざまな悩みや苦労を背負いな がら生きているはずです。画面に映る穏やかな笑顔からは、そこに暮らす人々が助け合い、信頼し合い、前を向いて生きていることが伝わってきます。

しかし、資本主義の最前線ともいうべき大都市で暮らし、競争の激しい業界に身を置き働いていますと、そんな穏やかな国民性を忘れてしまうことがあります。

グローバル競争の激しい時代にあっても、日本らしさを追求し奮闘努力をしている企業は多いものです。日本は商人国家ではなく職人国家であるといわれています。それも図抜けたひとりの職人に依存するのではなく、チームを組み、みんなで知恵を出し合いながらものをつくってきました。

チームで力を合わせることでひとりの天才がつくり出す以上に素晴らしいものをつくり上げる、日本はそんな国なのです。チームづくりにさえも国家の原型が見受けられます。私はそのようなものづくり国家の原型がいつ頃芽生えたのかを考えることがあります。起源は飛鳥時代ではないかと考えています。そう、みなさんご存知の聖徳太子に私たちのDNAのおおもとがあるのではないでしょうか。

聖徳太子の17条憲法の条文を読まれた方は少ないと思います。学校の教科書でさっと通り過ぎただけではないでしょうか。

しかし、17条全文を読まれるときっと驚かれるでしょう。とくに企業経営者にとっては、経営指南書に匹敵する価値を秘めていることがわかります。企業経営の指南役として多くの人が思い浮かべるのが経営学者のピーター・F・ドラッカーだと思います。しかし彼が活躍する1000年以上も前、すでに経営の根幹にかかわることを述べていた人物が存在したのです。