「母さん」

「違うのよ。私会ったのよ」

裕子は急に声を潜めて密談でもしそうな様子で海智に近付いた。

「誰に」

「信永(のぶなが)さんのお母さんよ。ほら、覚えているでしょ。高二の時にあんたと同じクラスで焼身自殺しようとした信永梨杏(りあん)さん。あのお母さんとさっき廊下ですれ違ったのよ。

急なことだったから挨拶しか言えなかったんだけど向こうは目も合わせずに黙って軽く会釈しただけでうつむいて歩いて行ったのよ。私気になってこっそり後をつけて行ったら、この病棟の一番奥の四〇二号室に入っていったのよ。きっとあそこに梨杏さんが入院しているのね」

「入院? 彼女、死んだんじゃなかったの?」

海智は愕然とした。

「それが、全身火傷の重症でこの病院に救急搬送されて危篤状態だったけど、何とか一命をとりとめたらしいのよ。だけどそれっきり意識は戻らなくて植物状態になってずっと人工呼吸器に繋がれているそうよ。可哀そうに」

「そんな話、全然知らなかった・・・・・・」

「ごめんね。あの頃あなたも病気で悩んでいたから、ショックを受けるといけないと思ってこの話はしないようにしておいたのよ。でもこの話はこの町では有名な話よ」

「でも、何でそんなに長い間病院に入院できるの? この間山下先生が『当院はDPCだから入院期間は二週間にしておきます』って言われて何のことか分からなかったから調べてみたら、要するに疾患ごとに決められた期間以上に入院期間が長くなると病院が損するシステムらしい。

だから入院が長くなると退院や転院を主治医から迫られることが多いんだって。それなのに八年以上も入院しているって普通じゃないと思うけど」

「人工呼吸器を外せないからじゃないの」

「そうかなあ・・・・・・」

「とにかく、何かあったら連絡しなさいね。また来るから」

そう言うと裕子は部屋を出て行った。海智はベッド脇に腰かけて深刻な表情で考え込んだ。

次回更新は9月26日(金)、18時の予定です。

 

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