【前回の記事を読む】テレビ局数社からカメラマンやレポーターがきて大混雑。夫からは「絶対に映らないように」と強い念押し

ALS協会設立総会

ホテルに戻ると、夕食時に私たちの姿が見えなかったと、事務局長のS社社長のMさんが心配して、「夕食は済まれましたか」と聞いてくださったりもしました。

このM社長は、A新聞でこの会の記事を見てすぐ手紙を出した私に、これまたすぐに、心のこもった内容の濃いお返事をくださった方でした。

M社長は、ホテルの各階に一つずつしかない風呂付きの部屋の人に頼んで、善一さんがゆっくりお風呂に入れるよう手配してくれました。お風呂を貸してくださった方は、羽田から会場まで車でご一緒し、総会では副会長になって、奥さんが代わりに感動的な挨拶をなさった秋田のNさんという方でした。

その方は善一さんとぜひ話がしたいと言ってくださったのですが、善一さんが疲れていたので、代わりに私がお話をしに行きました。

その方は、秋田の八郎潟で開拓農家をしていらっしゃるのですが、3年ほど前に発病し、現在は車椅子生活で、私が行ったときも奥さんから歯を磨いてもらっていらっしゃいました。

しゃべるのも困難な状態でしたが、私にさまざまな貴重なお話をしてくださいました。発音は不明瞭でしたが、Nさんも一生懸命しゃべっているのだと思うと、実は私は眠くて仕方なかったのですが、口元を必死で見つめ、その言葉を理解しようと努力しました。

それでも初めのうちはなかなか聞き取りにくく、奥さんの通訳なしにはわからなかったのですが、そのうちにだんだんわかるようになってきました。

そして、この秋田のNさんが行動力旺盛で、とても生命力に満ちていらっしゃることに気がつきました。病名を告知された後に町長選挙にうってでられたとは。

普通ならショックを受けて家に引きこもりがちになってしまうのではないかと思います。選挙中は病気を知られてはいけないと、奥さんも必死に動揺を隠して選挙カーに乗り、すでに握手のできなくなっているご主人に代わって、心の中で「もし本当に当選したらどうしよう」と不安に思いながら、町民と握手をして廻ったということでした。