驚いた新十郎は声も出ない。茶室には恭平と二人きりで、相手は刀を持っている。二十代のようだが、不精髭と土に汚れた顔からは荒んだ暮らしが垣間見えた。何をされるか分からない。丁稚では頼りにならぬ、と思いながら新十郎は恭平を見た。
「お前さん、どのくらいご入用なんだね」
いきなり恭平が乱暴な口をきいた。
「なんだ。小僧のくせに生意気な。主人と話をしておるのだ。控えておれ」
「お前さん、強請(ゆす)りは新米やな」
「何を言うか。下がれ」
「ウチの旦那は天下の鴻池新十郎だす。何を買うにも、この顔を見せれば後から勘定書きが届くようになっとります。そんな人の手許にお金はありまへん。金のないところに来るから新米だと言うのだす」
「財布を持たなくとも、金櫃(かねびつ)があるであろう」
「金櫃のあるところまで、お前さん、一緒に行きまひょか。店には三百人からの雇い人がおりますが、それでもよろしうおますか」
浪人者は言葉に詰まってしまった。新十郎はポカンと口を開けたままである。恭平は平然としているようだが、頭の中では忙しく次の展開を読んでいた。最初はぞんざいな言葉で毒気を抜いたが、そろそろ限界だ。怒って刀を抜く前に、次の手を打たなくてはならない。恭平は作戦を変えた。少しずつ言葉を丁寧にして、相手を持ち上げながら幕引きに持ち込もうというのである。
「私どもは事を荒立てたくございまへん。お侍様にも、ご損を掛けたくはございまへん」
「どういうことだ」
「どないでしょう。ここに十両おます。これから支払いに行けと店から預かった金ですけど、これをお持ちになりまへんか」
たまたま主人から預かっていた金を差し出した。
「小僧からもらおうとは思わぬ。主人に借用をお願いしている」
「お金には小僧の色も匂いもついておりまへん。旦那のと同じです。どうぞお持ちになってください」
どうにも攻めどころが見つからない。諦めた浪人者は嘆息一番、手を伸ばして素早く十両を懐中に納めた。
「ご主人。腹の座った奉公人をお持ちで結構なことじゃ。では御無礼致す」
素早く身をひるがえして、浪人者は走り去った。緊張が解けた恭平は、崩れるようにその場に突っ伏してしまった。歯の根が合わないほど震えている。新十郎がその背中を幾度となく撫でてくれた。