「気持ち悪い」
高梨は必死で指輪から目を背けて、逃げるように商店街の中に走り込んでいった。ジュリア鞄店は派手な看板で、遠目でもすぐに見つかった。商店街はすでに寂れており、多くの店でシャッターが閉まっていた。
「まるで都市封鎖だな」高梨は自分の言葉なのに「都市封鎖」という聞きなれない言葉に疑問を持ちつつ、ジュリア鞄店に歩み寄った。
その時だ。高梨は、背後から機関銃で大量に撃ち抜かれたような衝撃を受けた。息が苦しい。足が立っているのか回っているのか分からない。嗚咽が漏れる。
「忌中 1週間ほど休みます」という貼紙がジュリア鞄店のシャッターに貼られていた。それを見た途端に、奇妙な金属音が悲鳴のように高梨の頭の芯から鳴り響いた。
「麻里那! 俺が殺したのか!」
幽霊になった麻里那が、高梨を見つめている。いるはずのない影を背中に感じ、高梨は振り払いたいような、むしろ纏わりつかれたいような、矛盾した感情の狭間にいた。麻里那は子供がいないため、外科医の激務を断る理由もなく、また、休むつもりも本人にはなかった。
家庭を持つ優秀な女性医師が外科を次々に辞める中、麻里那はますます仕事に邁進した。高梨は、麻里那と症例について討論しあう二人きりの時間が楽しかった。だが同時に、彼女に家庭を持たせられない罪悪感と闘っていた。また、近い将来、麻里那に外科医として追い越される恐怖も感じていた。
そこで彼の出した答えは、麻里那と別れることだった。勝手に結婚して、外科を辞めろと。ある日、研修医の歓迎会で、高梨はあろうことか麻里那の目の前で若い研修医に、「彼女になってほしい」と告白した。麻里那との仲を知る同僚が止めに入った時、高梨は麻里那に向かってこう言い放った。