天才の軌跡 海と太陽と鉄――三島由紀夫

三、鉄

海が母、太陽が父を表していたのに対して、鉄は三島由紀夫自身を表している。

このことについての例を引用して示すと、「硬い心、鉄の錨(アンカー)のように硬い心、と彼は何度も口の中で言ってみた。するとどうしても自分の正真正銘の硬い心を、手にとって見たくなった」(『午後の曳航』)という文があり、また『太陽と鉄』と題した評論は自伝的なものであり、太陽=父に対している鉄というのは作者自身以外の何ものでもないのである。三島由紀夫が「持ち前の硬い心を本当の石に鍛へ」(『太陽と鉄』)たいのは太陽=父に対抗しようとするためである。

自己の象徴として鉄を選んだ三島由紀夫は、常人とは異なった行動を取ってきた。この種々の行動の中でここで最も奇異に感ずる切腹を取り上げてこの文の終わりとしたい。

くり返しになるが、まず、三島文学では一度の違いもなく海は母の象徴であることを思い出して、次の文章を読んでいただきたい。

「中尉は血の海の中に俯伏していた」(『憂国』、傍点は筆者)。「血のように生あたたかい環礁のなかの湖」(『午後の曳航』)、また『朱雀家の滅亡』の中で、おれいが、「あの子は死ぬと同時に、青い空の高みからまっしぐらに落ちてきて、ここへ(と自らの腹を叩く)、ここへ、この血みどろの胎の中へ、もう一度戾って来たのですわ。もう一度賤しい温かい血と肉に包まれて、苦しい名誉や光栄に煩わされることのない、安らかな眠りをたのしみに戾って来たのですわ。今こそ私はもう一度、ここにあの子のすべてを感じます」と言っている。

三つの例を挙げたが、これらはすべて、死の後、血の海、血のような湖、で表されている母の胎内に帰ることを暗示しているのである。これらから切腹は自からを母と同一視し、その胎内にもどり、母の血潮にまみれるのだという三島由紀夫の願望を表していると言ってもよいと思う。

切腹の時、三島由紀夫は剣(すなわち鉄)によって象徴化されている。自からは剣となって、母の胎内(三島由紀夫自身が母となって――女装の場合と同じ)へともどろうとするのである。

これはオットー・ランクの出産外傷または胎内復帰願望の理論と一致するものであり、このような観点からのみ、『仮面の告白』の冒頭「永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言張っていた」ことが説明されるのである。

三島由紀夫が死の衝動と自から言っていたものは、フロイトが述べているものとは異なったものと思われる。「少年時から青年期のはじめにかけて、私はいつも死の想念と顔をつき合わせていたような気がする」「私の死の欲求には、ますます現実離れのした、子供らしい夢想がからまるにまかせた」(共に『小説家の休暇』)。これらは死の衝動ではなく、胎内復帰の願望なのである。

三島由紀夫は大ロマンティストであった。彼自身の言葉によると「私は生来、どうしても根治しがたいところの、ロマンチックの病を病んでいるのかしれない」(『私の遍歴時代』)のである。ペールギュントが初恋の人に抱かれて死に、さまよえるオランダ人が最後に女性に救われるように、彼は最後に母に恕(ゆる)されて死ぬことを望んでいたのである。

私がここに述べたことをまとめると、三島由紀夫にとって胎生期および、幼児期こそ黄金の時代であったこと、この時期にもどる方法として、死をもって恕(ゆる)され、母の胎内に帰るために切腹を行なったこと、また父は子供の頃に偉大に思えたと同様に、彼が成人した後も、偉大であって欲しく、母に憧れる三島由紀夫を罰する(処刑する)ことを願っていたことである。