野望の果てに
日英商会の産業機材事業部では朝から社内が落ち着かない雰囲気で、新任してくる事業部長がどんな人物かそれぞれの部署で噂をしていた。
アイルランド出身のスミスが家庭の事情で、4月末に前触れもなく急に退職して本国に帰ってから約2か月の空白があった。日本支社の人事部からも後任人事について発表がなく、事業部の社員の中にも噂だけが渦巻いていた。
年配の社歴が古い古参部長たちはいたって冷静で外資企業にはよくある出来事として受け止めていた。一応、後任者が決まるまでの間、副支配人の芝田が週に一度、決裁や承認のために事業部に顔を出していた。芝田は温厚な人柄で外国人スタッフや日本人社員からも好感を持たれていた。
彼は60歳を過ぎた長老で英語も達者で支社長のミスター・シモンからも全幅の信頼を寄せられていた。空白の2か月の間、事業部の業務は何事もなかったように回転していた。
これも事務方の業務部長の大河原が番頭役を務めて事業部全体の規律を監視していたからだ。大河原は2年前に他部門から産業機材事業部に異動してきたが、性格は融通が利かない堅物の業務部長として社内では一目置かれていた。
数日前に人事部長の島田作治から事業部の塩見裕子秘書に一通のFAXが届いていて、本日の午前中に新任の事業部長が赴任されるとだけ知らされていた。その通達文には新任の部長の名前は記されていなかったそうだ。この段階では外国人か日本人かは不明のままだった。
食品機器部の前澤部長は秘書の塩見裕子とは日頃から懇意にしていた関係から、そのFAXを見せてもらったが簡素なもので人事部の島田部長から用件のみを記載した数行の文面だった。前澤が塩見に聞いてみた。
「塩見さん、正直言ってこれまでと同じ外国人の方がいい?」すると少しはにかみながら「これまで長い間、外国人の事業部長だったし、英語力が生かせるのと余計な気づかいをしなくていいので居心地がいいです」と率直な気持ちを話していた。
表情からは外国人の上司に来てほしいという様子が見て取れた。
前澤は「そうだよね、日本人は仕事以外の事でも気を使わないといけないからね。まもなく明暗がはっきりするよ、じゃあね」と右手を頭の位置まで上げて塩見と別れた。