「実は俺、杉浦とつき合ってます」
沖田さんは、ドラマか映画でしか見たことがないような見事なフリーズを見せ、咥えた煙草を口から落とした。そして少し間が空いた後、ひきつった笑顔を僕に向けた。
「いやぁー。まいったなぁー。幼馴染とばかり思っていたから、いやぁ騙された」
「すみません」
騙していたつもりはなかったが、ひとまず謝った。
「まぁー、あれだな」
沖田さんは、当時人気の幼馴染との恋愛をコミカルに描いた野球漫画を引き合いに出した。
「そうですね」
僕は高校球児でもなく双子の弟もいなかったが、一応相槌を打った。
目の前にポテトサラダと焼き物が並ぶ。飲むと陽気になる沖田さんが黙々と酒を煽(あお)っていた。ピッチがいつもより早い。小一時間で出来上がっていくのがわかった。やばいと思ったが、流石に逃げ出すことができなかった。
「で、今日はなに?」
まずい、絡み始めた。
「どうしましょう? 俺か杉浦か、どっちか辞めた方がいいですか?」沖田さんに訊ねた。
「いや。それはいい。どうでもいい。俺が辞めるから」
投げやりに言う沖田さんに僕は慌てた。
「はぁ? それはまずいでしょ」
とんでもない方向に話が進み始めたと思った。
「そうじゃない。聞け、長瀬。まだ誰も知らんが、俺は店を辞める。辞めて実家に戻って家業を継ぐ」
沖田さんの地元は松本で、父親は大きな結婚式場を営んでいると聞いたことがあった。
「俺は杉浦さんに結婚を申し込むつもりだった。彼女を松本に連れて行くつもりだった。そして両親に紹介するつもりだった」
「はぁ」
沖田さんは手酌でコップにお酒を注ぎ入れ、ぐびぐび呑んで荒々しくテーブルに置いた。
「俺の最初のブライナーの仕事は、俺と杉浦さんの華燭の宴と決まっていた」
「ブライナーじゃなくてプランナーですよね」
と、突っ込みたかったがやめた。
「長瀬沙耶伽より沖田沙耶伽! こっちの方がしっくりくるじゃないか。それなのに、それなのに。お前って奴は、お前って奴は。なんで俺を騙した!」
「すみません」
騙していたつもりはさらさらなかったが、めんどくさいので謝った。
軒先の提灯が片付けられるまで僕らは飲み続けた。勘定を済ませて外に出ると、酔って暖簾をくぐる身体に、師走の寒風が容赦なく吹き付けた。
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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