天才の軌跡③ 海と太陽と鉄――三島由紀夫
二、太陽
三島文学において、一度の例外もなく、太陽は父の象徴であった。太陽こそは彼が近づこうと努力し、またそれに対抗しようとしたものであり、それに負ける(死ぬ)ことによって、母のもとに帰ろうとした彼にとって、海とは異なったもう一つのテーマである。
まず、太陽と死が、いかに緊密な関係を持っているかの例を引用すると、「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕(かくやく)と昇った」(『豊穣の海』「第二巻 奔馬」新潮社)「あれは大そう緊密で均質な夏の日光で、しんしんと万物の上に降りそそいでいた。戦争が終っても少しも変らずにそこにある縁濃い草木は、この白昼の容赦のない光りに照らし出されて、一つの明晰な幻影として微風にそよいでいた。私はそれらの葉末に私の指が触れても、消去ろうとしないことにおどろいた」(『太陽と鉄』)。
三島由紀夫にとって不思議なのは、強い太陽に照らされた草木が死なずに存在しつづけることなのである。『真夏の死』において、太陽のもと、海の中で死ぬという理想を三島由紀夫は描いたのである。
これを現実の言葉に翻訳すると、父の目前で死に、同時に母のもとに帰りたいという願望を描いていることとなる。このことこそ、三島由紀夫が、「われわれ楯の会は自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある」(『檄』より)、という自衛隊で切腹した潜在意識的理由なのである。
彼が総監室にもどり切腹をした理由の一つは、総監という父親像の目前で死ぬことであったであろうと思われる。自己顕示的性格であったといわれる彼がより多くの人に見られるバルコニーではなく、室内にもどって切腹をしたもう一つの理由は、室内=胎内という潜在意識の働きもあったのであろう。
次に、太陽と死について最もよく描かれた『真夏の死』についてもう少し細かく分析すると、まず死刑執行人としての父の像がある。「たしかに一度夏空の中に、白いくっきりした輪郭をもった、怖ろしい風姿の大理石の彫像が現れたのである」。この彫像は長剣を持っている。他にも「夏はたけなわである。烈しい太陽光線にはほとんど憤怒があった」という表現もある。
以上の引用を意識の言葉に翻訳すれば、憤怒に満ちた父が長剣をふり下ろし、清雄と啓子を殺したのである。さて次に意味があるのは『真夏の死』における幼い三人のきょうだいが、三島由紀夫のきょうだいと構成が全く同じであるということである。
このことから、死の後、共に母のもとに行きたいと考えていたのは、妹であって、彼の妹に対する愛情は強かったと考えられる。この裏付けとしては、「私には一人の妹しかなかった。子供のころから女の姉妹の沢山いる賑やかな家に憧れていた」(『仮面の告白』)という文が見られる。
妹に対する愛情を述べたので、次に弟についての感情について言うと、前に書いたように、弟が誕生した同じ年より「自家中毒は私の痼疾になった」(『仮面の告白』)こと、および同じ年に「私はこの世にひりつくような或る種の欲望があるのを予感した。汚れた若者の姿を見上げながら『私が彼になりたい 』という欲求、『私が彼でありたい 』という欲求が私をしめつけた」(『仮面の告白』)という事実がある。
なお汚れた若者の職業は汚穢屋である。この欲求は同性愛の始まりというよりは、むしろ弟に対する憎しみの現れではないだろうか。フロイトは「小児のいだく性理論によれば、子供とは物を食べることによって得られ、腸を通って生まれてくるものなのである」(『フロイト著作集』第五巻 性欲論Ⅱ 小児の性愛 懸田克躬、吉村博次訳)と述べているから、これをあてはめると、汚穢屋はこの生まれた子供を家からつれ去る人であり、三島由紀夫は、自ら汚穢屋となって、弟を家から遠くに捨てたく思ったのであろうと考えることができる。
この意味において、『真夏の死』の中で一番下の子供は死ななかった。言い換えると、弟と一緒に死に、母のもとに帰ることを彼はきらったのである。