BROTHER
大雪が降ったかと思えば、次の日は十二度を超える暖かさ。ようやく春が訪れるのかと思いきや、また真冬の寒さだ。
最近の東京の天候は実に不思議だ。私は非常に寒さに弱い。札幌を出た理由の一つに、寒すぎるというのがある。しかし、気候が暖かければ未だにそこにいたのかと聞かれれば、決してそうではない。
まだ私が札幌にいた二十二歳頃の出来事だ。弟と二人でランチを食べに行ったことがある。久しぶりの再会だった。
「姉ちゃん、あの時俺ら沖縄に残っていたらどうなっていただろうね」
「たぶん結果は今と一緒なんじゃないの?」
「沖縄に残ってみたかった気もするけどね。もしかしたら沖縄にいた方が俺らは楽しかったかもよ」
「うん、たぶん札幌へ来たことは間違いだったよね」
私達姉弟はものすごく沖縄に愛着があった。私は幼少時代の殆どを沖縄で過ごした。祖父母の愛情の元ですくすくと成長した。五歳年下の弟が生まれてからも度々沖縄を訪れた。ムーンビーチへ行って海水浴をしたり、ソーキそばを食べたりしたのをよく覚えている。
私達にとってはまるで楽園のようだった沖縄。しかし、弟が生まれたと同時に北海道へ引っ越してからは、ある意味地獄だった。
母親の様子が変わってしまったからだろう。毎日涙を流しながら酒を飲む母親と三人きりの生活。そこには祖父母はいない。
母親は父親が不在の状態で一人で子育てをしなければならなかった。父親は単身赴任をしながら家族から逃げているように見えた。たまに帰ってきては夫婦喧嘩。私達姉弟は黙ることしかできなかったのだ。
私と弟は、沖縄に帰ればまた母親が穏やかで優しくなるものと信じていたのだ。しかし、沖縄へ帰るという夢は叶わず祖母は六十歳という若さでこの世を去ってしまった。