「これからどこへ行こうかな」
雲がかかっていなければ富士山が見えるという空を眺めながら、そう思った。
競艇場へ通う日々が終わったとしてもこれといってやりたい仕事があるわけではないが、生活のためには何か探して働くしかない。家賃を払い、光熱費を払い、煙草を買い、酒を飲むために、何故こんなことを繰り返さなければならないのかと思うと虚しくなる。
競艇場の待機室には、うちの会社の求人広告が載っている新聞のコピーが置かれていた。時給も日給もでたらめ。「この大嘘つきが」私達は皆、これに騙されてこの場にいるのである。もはや笑うしかない。
それでも、騙された結果この職場の仲間に出会えたのだ。流れ流れて、私がこの最果ての地へ辿り着いた意味を考えなければならない時期に入った。誰かと出会うためだったのか、何かを学ぶためだったのか。
日は長くなり、仕事後に見る夕陽は始まりと終わりを物語っているようだ。皆の笑顔は少しずつぼやけ、皆の声は少しずつ遠くなり、大勢の中で私は急に孤独を感じ始めた。
「これからどこへ行こうかな」
友情を築き上げるには少し短かったような気もするが、友情などと語ると、
「それは橋岡さんが寂しい人間だから、出会う人を信頼し過ぎているだけ」
などと言われるのだろうか。多くの人の笑顔を置き去りにその場から消えるのはとても残酷なことだ。
しかし私の目に映るその笑顔が偽りだったらと考えるほどわけがわからなくなってくる。自分が孤独な時ほど、人々の表情は怪しく思える。自分が幸せな時というのは、目に映る全てが美しい。
自分がホームにいれば歓喜はエールに聞こえるが、自分がアウェイにいればそれはヤジのように思えてしまう。少なくとも富士山が見える環境で暮らしていることを嬉しいと思えるのは、まだまだ旅行気分なのかもしれない。