こうした天地を包む宇宙的「大生命」の発想は、後述するスピリチュアルな死生観の「生命主義」的な考えとの関係においても興味深いのだが、もう一点、かの子が当時の先端科学であった宇宙理論や量子(電子)論、また生理学などに関心を持ったことも面白い。

すなわち、「ニュートンの物理学やユークリッドの幾何学を基調とした科学」は今や「死灰固定の科学」に過ぎないとして、「電子説」を取り上げ「空間のヒズミや第四次元の世界や相対性原理や運動即物質説」(『仏教のルネッサンス』)を仏教の華厳経の世界観(「一切即一」とか「万物と我と同根」などの発想を持つ)と関連付けたりしているのである。

電子=「荷電体の微粒子」の寄り集まりが物質を形成している状態は「精神なるものの存在状態に近づいて来た」こととして、この「『精神物質不可分』の仮説」を仏教の「物心一如」説と同様の考えだと言い、「生理学に於て脳細胞が精神化する刹那の形相 が掴まえられるならば、この問題はもう一層解決が深まって行くことでしょう」(『観音経(附、法華経)』)との期待を述べている。

宮沢賢治が、近代の「科学は冷く暗い」としていたのを先に見たが、かの子は最新科学が仏教理論に近づいていると注目しているのである。

後に、我々は江戸後期から近代日本にかけての知識人たちが科学的唯物論にどう反応したかを検討するのだが、賢治・かの子の仏教的死生観もそのリアクションとしての安心立命論だったと見るべきであろう。