この界隈のビルは貸マンションが多く、居住者は夜の仕事を持つ女性が多い。
我が家の裏手の五階建ての古いビルも、その類であることを知ったのは、今年の夏の夜だった。その建物は、恭平の屋根裏部屋から十数メートル程の所に在り、隣接する右手のビルとの一メートル余の間隙を通し、三階から上の窓を覗くことができる。と言っても、覗くためには物干し台の手摺りを掴み、身を乗り出さなければならず、そんな酔狂なことは誰もしない。
四か月前の七月中旬の或る夜。
デジタル時計が、〈AM 1:00〉を表した頃、物干し台に出た恭平は、窓枠に張り付いた異様に腹の膨れた蟷螂(かまきり)を見つけた。蟷螂は身を反らせて鎌を振りかざしながら、ゆっくりと壁を伝い、側面へと消えた。
一旦は何気なく見送った恭平だったが、木立の少ないアスファルトとコンクリートの夜の町を孤独に這い回る蟷螂を捕まえてやろうと、上半身を乗り出し右手を伸ばした。
無抵抗のままくびれた腰を親指と人差し指に挟まれた蟷螂は、やっと思い出したように鎌を宙に泳がせた。月明かりだけの暗闇に躍る黄緑色の蟷螂の腹が、何故かエロチックで残忍な想いに駆り立てる。
恭平は、その腰を握り潰さないように注意しながら、腕を振り上げ蟷螂を向かいの壁に軽く投げつけた。哀れにも妄想の犠牲となった蟷螂は壁に激突し、数十センチ落下した所でようやく羽を広げ、微かな羽音を残して左手の闇に消えた。