そうだ、何時(いつ)も言われていたことだ。自分じゃなくて相手に考えさせるようにしなければいけないのに、相手が何をするのかに囚われ過ぎていたのだ。今回の小式部内侍関との取組で、女力士としての対応力を試される機会を得られたのだと、右近は思う様にした。

小式部内侍のことより、今日の一番に集中しよう。同じ大関の和泉式部は簡単に勝てるような相手ではない。

支度部屋の扉が開き、紫式部が廻しを着けた状態で入って来た。雷子が静かに支度部屋を出て行く。

「あんた、いよいよ明日ねえ」

千秋楽での小式部内侍との取組のことを言っているのだ。

「はい」と右近が答える。

柊部屋の女将は女力士達に、桜田部屋の女力士との接触を禁じていたが、柊部屋所属で人気力士の紫式部は、毎回、取組前に右近の支度部屋に雑談をしに来るのだ。

その内容は、下ネタ的な話が殆どで、紫式部が話した内容を、右近が雷子に話したら「碌(ろく)なこと言いませんね。エロ紫」と言われた。

紫式部は、雷子のことを「おでぶ」と呼んでいる。二人は学生時代から大会で対戦しており、雷子の方が二年先輩であった。

紫式部の関心は、金持ちの男を手に入れる為に、自身のステータスを上げることであり、右近の支度部屋で相撲の話をしたことは一度も無い。

最近、右近がテレビや映画やCMに出演するようになったのは、敏腕マネージャーの道長が、右近のドキュメンタリーを撮影し、プロモーション活動を行ったからだと勘違いしており、自分のマネージャーも道長にして欲しいと言う始末である。

右近自身は、幼少の頃から他人と関わることをしなかったので、会話は苦手であり、紫式部のように一方的に喋ってくれる方が有り難かった。