そんな甘い言葉に引っかかり、転居した神戸の自宅を処分し東野の元へ行き、言われるがまま入籍もしてしまった。この時はバツ2になるとは予想もしていなかった。

東野は余命1年と言いながら、食欲もあり、とても癌末期の患者には見えなかった。確かに数年前に比べ痩せていたが、生きる意欲は若い時と変わらない、いや若い時以上に精力的で、何にでも興味を持った。残された時間を全て自分の思いのままにしたいという執念のように見えた。

80歳を過ぎても女性に対する執着心は強く、性欲もあった。しかし、60歳を目前にした私には東野の要求に応えることは出来なかった。

「ワシはもうすぐ死ぬ」と言いながら、性欲を満たすため数人の女性と関係を持ちながら、私には病院の付き添いや家政婦のようなことをさせていた。

東野の病状は良くなかったが、病気と寿命は違うものだと多くの患者を見て知っていた私は家政婦であろうが、ヘルパーであろうがそんなことはどうでもよかった。ただ、病人を放っておくことは出来なかった。

入籍して1年目に東野は入退院の頻度が増えた。そろそろお迎えが来るのかな、と覚悟をしていたが、入院の度に知らない女性が病室に面会にやって来る。金遣いも徐々に金額が大きくなってきていた。

「ワシはもうすぐ死ぬんや。ワシの金や、何に使おうが勝手やろ、そんなに嫌なら別れてやる」

と啖呵を切られたので、すんなり離婚に応じ、バツ2になってしまった。

「死ぬ死ぬ詐欺」に遭ったようなものだ。

その後、東野は新しい女性と楽しく過ごしているということを共通の知人から聞いた。

離婚して1年後に東野は亡くなった。

8か月前のことだ。

東野が亡くなってから自分の身辺がすっきり綺麗になった気がした。もう誰と付き合うこともないだろうし、誰かを愛することなどありはしないと思っていた。

でも、心のどこかでありのままの私を大切に想ってくれる人がいて欲しいと思うこともあった。