お婆さんは、たかちゃんと擦れ違い歩いて行ったが、たかちゃんが振り返ると、お婆さんの姿は無く、ただ鈴の音が聞こえている。
ここの一つ先の踏切は、走っている電車に、子供が轢かれた有名な場所だった。
たかちゃんは、幽霊は好きではなく嫌いな方だった。
だから、いつもお化けに出会わないために、夜は出掛けない様にしていたが、しかし、昼間に出る幽霊はどうしようも無かった。
たかちゃんの母親の父親は、某有名レコード会社に勤めていた。
その妻は、神田で割烹料亭をしていたらしい。
家には跡取りがいなかったために、母方の祖父は養子で、たかちゃんの母親の本当の両親では無く、母親が誰の子かは秘密となっている。
終戦後、たかちゃんの母親も、某有名なお菓子メーカーの製薬部門の薬剤工場で、粉薬を包む生え抜きの女工として働いていたが、三郎との結婚で仕事を辞めた。
たかちゃんの母親は薙刀(なぎなた)の名人だった。
疎開中、東北随一の幕臣の藩の最後の侍のお爺様の家で、その奥方から武術を直伝されていたので、それを娘のたかちゃんにも教えようと、母親は手取り足取り薙刀の構えや突き、面などを教え込もうとしている。
「薙刀は、素早く小手を払い、面を打つ!」
「たかちゃん、ちゃんと見てるの?」
と、実践しているが、しかし、当の娘のたかちゃんは、専ら勇ましい母親の姿に見惚れているだけだった。
何事にも好奇心旺盛の少女は、どんな事にも興味を持った。だからたかちゃんは、ピアノが弾けた。
それは、近くに住むピアノの先生が、純粋な眼差しで見詰めているたかちゃんに、ピアノの弾き方を教えてくれたからだ。
なので、それからは週末には、その先生の家でピアノを習っていた。