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『地域医療連携のご案内
許しません! 暴言 暴力 迷惑行為! 安心で快適な医療機関を目指します
お知らせ
発熱の症状がみられる方はまず下記お電話番号までご相談ください。』
診察室前の廊下に張り紙にはそう並べられていた。不統一のフォントとフリーイラストで飾られた紙は端が捲(めく)れ多少色あせ劣化が見られる。もう何年もこのまま手が加えられず放置されているのだろう。
休日当番医を探して辿り着いたここは五年前に開業したばかりのクリニックで、内装はホワイトとダークブラウンを基調とした落ち着いたデザインになっていた。インテリアにも凝っているのか、ソファはイタリアのカッシーナを個別に置き、待合室の天井には小さな涙の粒が幾重にも連なって光を宿している。
擽(くすぐ)る程度の音楽が流れる中、藍色のカーディガンを羽織った美人が一人受付に座っていた。
僕の他にも母親に連れられた子供、作業服を着た五十代くらいの男性、スマホから頑なに目を離さない青年がそれぞれソファに尻を沈めている。そして互いのテリトリーを侵さない程度に離れていた。
子供は女の子で、少し茶色がかった髪を耳の横で二つ結びにしている。布地で出来たリボンの髪飾りが耳元を華やかに彩っており、女の子は母親の膝に両手を置いてふっくらとした頬を赤く腫らしていた。フードにボアの付いた花柄の中綿アウターは彼女の体をすっぽり包み込み、幾分大きい気がする。
僕はその母娘を見て、二人は見えない糸で繋がっているような気がした。例えどちらかが一定の距離を離れたとしても、その糸がすぐに張って注意を喚起するのだ。彼女は先ほどからきょろきょろと周囲を見渡しては爪先立ちをしたりして忙(せわ)しないが、決して母親から離れようとしない。
彼女にとってはそれが、今のこの距離が、ピンと張っている状態なのだ。母は娘の顔を見てはいないが、その糸を信じている。命綱だ。
僕はお前の部屋の扉から噴き出した繊維を思い出した。
診察室のドアがスライドする。
ネルシャツの上にブルゾンジャケットを着たお前の姿が見えた(僕も一緒に診察審に入ろうと思ったがお前が許さなかったのだ)。顔半分をプリーツマスクで覆い、右目は眼帯で塞がっている。左目の上は眉尻から鼻梁に掛けてガーゼが当てられホワイトテープで止められており、頭は何重にも包帯が巻かれていた。
相変わらず引き摺る左足はどうなっているのわからなかったが、お前は僕の目なんて見ずに診察室の扉に背を向けて歩き出す。
そうして、「互いのテリトリーを侵さない程度に」離れて、座った。
次回更新は3月13日(木)、20時の予定です。
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