「全然知りませんでした。私はてっきりキリスト教は慈愛に満ちた平等な宗教だと思っていました」
「確かにキリスト教徒に対してはそうかもしれない。でもそもそも異教徒に対しては聖書にもはっきり殺していいって書いてあるからね。黒人も日本人も異教徒である時点で、彼らには殺していい存在なんだ。当時のローマ教皇ですらそれを正式に認めてるからね」
「そうなんですか? まったく知りませんでした。真実は多角的に見ないと本当の意味では理解できないんですね」
「まったくその通りだ。それがわかると世界史をより深く理解できるよ」
あの人はそう言ってほほ笑んだ。それはさっきの皮肉に満ちた笑みとはまったく違った。優しく、包み込むような笑みだった。私はたった数分間でいくつもの知らないあの人を見た。
「もし興味があるなら、『エルマー・ガントリー』っていう映画を観てみるといいよ。それを観るとキリスト教の本質が少しわかるから」
「わかりました。観てみます」
私はあの人から課題を与えられたことが嬉しくて頷いた。私はキリスト教の本質などどうでもよかった。ただあの人と会話をし、笑顔を見られただけで満足だった。そして、あの人への思いはそれまで以上に大きく私の心を支配した。
すぐに私はあの人の教えてくれた「エルマー・ガントリー」をDVD店で借りた。映画は私を打ちのめした。今までのキリスト教に対するイメージはあっさりと崩れた。それはけして美しいだけのものではなかった。私はあまりに無知だった。あの人に教えてもらわなかったらきっといつまでも無知なままだっただろう。
翌日、世界史の授業が終わってから、教室を出ていくあの人の後を追い駆けた。
「先生」
あの人はそれが自分を呼ぶ声だとわからず歩き続けた。私はあの人を追い越し、その前で立ち止まった。あの人は突然進路を妨害されたことに驚き、何度も瞬きをしたが、前とは違って私が誰かわかったようだった。
「『エルマー・ガントリー』観ました。キリスト教にあんな一面があったことに驚きました」
あの人は私の目をじっと見つめてから頷いた。その口元にはあの優しい笑みがあった。
「そっか。わかったか。それはよかった」
「自分がこれまで物事を一面からしか見てなかったことに気づかされました。先生のおかげです。ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
「大袈裟だよ。でも、これでキリスト教は悪だって思うのも一方的な見方だから、そこは気をつけてね」
「はい、わかりました」
私はそう言ってからもう話すべきことが残っていないのを知った。
あの人は私が道を開けるのを待っていた。でも、私はあの人を行かせたくなかった。ただ感想を言うだけで終わりにはしたくなかった。
次回更新は3月14日(金)、20時の予定です。
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