天才の軌跡② 谷崎潤一郎の精神分析(視覚の無意識的意味)

筆者は長いあいだ、視覚の無意識的意味について興味を持っていた。ここに谷崎潤一郎を取り上げるのは、彼ほどこれを主題に書いた作品の多い作家はいないからであり、この疑問の解明の助けになるからでもある。彼の作品の中でこれを主題としたものには、『陰翳礼讃』『盲目物語』『春琴抄』『聞書抄』などがある。

他の芸術家たちもこの主題にひかれるものがあったようで、古くはソフォクレスの『エディプス王』では、エディプス王は自ら両目を、彼の母であり、妻でもあるジョコスタの着物を止める黄金飾りのついた留め針で刺し、シェイクスピアの『リア王』には、コーンウォール公爵はグロスター伯爵の両眼を抉り出す残酷な場面があり、近松門左衛門の浄瑠璃『出世景清』では、主人公悪七兵衛景清はこの浄瑠璃の最後、自ら目玉をくり抜いて盲となる。

近年になると、邦題『眼を閉じて』という、フランスのジョエル・サントーニ監督の映画では、主人公は自らの意志で盲目となり、これもフランス人の監督ルイス・ブニュエルによる『アンダルシアの犬』や、イギリス人の劇作家ピーター・シェーファー『エクウス』では動物の目を傷つけることが主題になっている。

もう少し身近な例では、中山介山の『大菩薩峠』(谷崎潤一郎はこの作品を非常に高く評価している)および、林不忘の『丹下左膳』や映画『座頭市』シリーズがあり、これらの主人公は失明(丹下左膳の場合は片眼だけであるが)というハンディキャップにもかかわらず、剣の達人であるという矛盾した共通点を持っている。三島由紀夫もまた、短篇集『三熊野詣』の中に精神薄弱の子供の目に対する怒りを書いているのも興味深い。

筆者自身の経験では、ニューヨーク州立の病院で治療していたある患者さんは時々彼自身の目を指でかきむしるという症状があり、いろいろ治療法をためしたがいずれも効果がなかった。このことも筆者が、目に対する潜在的な怒りといったものがあるのではないかと考えはじめたきっかけの一つとなった。

永栄啓伸氏の『谷崎潤一郎小伝』(国文学、谷崎潤一郎特集)によると「谷崎潤一郎は明治十九年七月二十四日、東京市日本橋区蠣殻町に生まれた。精二、得三、園、伊勢、末、終平の弟妹がいた。母親は錦絵に描かれるほどの美人」であったという。

さらにこの母(関)について永栄氏は「若くて美しい母の像は幼年期の裕福な生活と結びつき、やがて父の事業失敗による家運の衰退は、母の愛護の深かった幼年期への郷愁を一層強める結果となる。そして大正六年の母の死は谷崎に〈母恋い〉という大きな主題を凝縮、結晶させた。『母を恋ふる記』は『吉野葛』『蘆刈』『少将滋幹の母』『夢の浮橋』などの母性思慕の系譜の先駆的作品として注目される」と言っている。