「もう無理よ。何回もチャンスをあげたのに……。営業のやり方だって教えてあげたのに、結局、すぐに楽な方に流されて努力なんてしないじゃない」
風香もどんどん感情的になってきて、声が震えている。
悔しくて涙が止まらない。なんで僕はもっと努力をしてこなかったんだ。「僕はいつか成功する」と口では言っていたけど、なにも行動にはうつせていなかった。そのうちに営業成績が伸びるタイミングが来るだろうと高を括っていた。
「私だってあなたと一緒になるために仕事を一生懸命頑張ってきたわよ。あなたの分も私が稼げば生活はできると思ってた。……でも、ある時、考えちゃったの。なんで私ばっかり頑張ってるのに、あなたは頑張っていないのよって」
しばらく二人の間に重い沈黙が流れた。なにも言い返せない。すべて風香が言った通りだ。出来ることなら付き合い始めた二年前に戻りたい。その時が頑張るキッカケだったんだ。
その時に心を入れ替えて頑張っていたら、風香とまだ付き合っていられたかもしれない。もしかしたら今日、このカフェで別れ話じゃなくて結婚の話をしていたかもしれない。
「もう限界なのよ。こんなの私の思い描いてた結婚像なんかじゃない!」
風香の声が大きくなり、店内がシンと静まりかえった。幸い店内には二組くらいしか客がいなかったが、それでも視線が痛かった。
「……わかったよ。今まで辛い思いをさせてごめんな。……ちなみに、その人とはもう付き合ってるのか?」
「……そうね。あなたもよく知ってる人よ」
「え? だ、誰なんだよ」
「立花さんよ」
―噓だろ。僕らと同じ店舗にいるユニットリーダーだ。
僕は額に手を当て、目を閉じた。こんなことって。急に重力が増したように頭が重くなって息をするのも一苦労だ。
「なんで、あいつなんだよ!」
「ごめんね。でも、やっぱり営業トップになるだけあって、男らしいし、頼りがいがあるのよ。あなたには悪いとは思ってるけど、私の幸せを願ってくれているのなら、理解してほしいの」
理解なんてできるかよ。悔しさと驚きでもう顔を上げることができなかった。
今までありがとう、そう言い残して、風香は伝票を手に取り、レジの方に歩いていった。僕はスーツのズボンにできた涙のシミをただ見つめることしかできなかった。
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