雅代は職と住居を探し始めてからそれらを三日で見つけ出した。その間、食事は朝食も含め叔父の家で摂ることはなく三食すべて外食で済ませた。

住居は手持ちの資金から選択の幅は限られていたが、ハローワークでの職のメニューはいろいろあった。しかし、雅代は、都会生活は初めてであり仕事内容が容易に想像でき、経験不問とあった時給千円で交通費一日当たり五百円がつくレジ係の仕事を選んだのだった。

採用されると、独り身の雅代は時間に余裕があり、少しでも長く働こうとほとんどの主婦が希望する午後四時には引けるパートタイムとは異なり、午前九時半から午後六時までのフルタイム勤務を申し出て認められた。

着の身着のままのような状態で田舎から出て来た女が一人で生きるためには少しでも稼ぎたかったからだ。それに働いている間は志摩のことをいろいろと考えずに済む。そんな思いもあった。

レジの仕事は商品についているバーコードをセンサーに読み取らせるもので、確かに経験のいるものではなかったが、朝から立ちっ放しで客の切れ目がなく、トイレに行くにも交代を待ち兼ねる状況だった。

しかし、二年も経つとそんな仕事でも周りを見渡すだけの余裕が生まれ、バーコードの読み取り機を通し終えデビットカードやクレジットカードで支払いを希望する客にもたつく後輩を指導することもできるまでになっていた。

雅代は寡黙だったが人の面倒見が良く職場でも評判が良かった。しかし、目立つことを嫌い引っ詰め髪で顔は素っぴんかと思うほどに化粧っ気を避けていた。

それでも三十台前半の丸みを帯びた体からは抑え切れない色香が漂い、計算されたものではないがどこか崩れたような隙を持っていた。

半年ほど前からこの隙に気づいた安いオーデコロンの匂いを振り撒く商品管理担当の主任が寄って来ては何かと便宜を図ってくれるようになり、再三にわたって食事の誘いをしてくるようになった。

主任は吉本晴雄といい、四十台前半の少し髪の毛の薄い妻帯者だった。雅代はこの食事の誘いが何を意味するかわからないわけではなく、しかも妻帯者であることから関わりを恐れて応じる気持ちにはならなかった。

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次回更新は1月31日(金)、22時の予定です。

 

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