長倉は、このジャンピングを酷使するような登攀を、さほど実践していなかったのかもしれない。
長倉のことは、ほとんど知らない。長倉の葬儀で、自分と同じサラリーマンクライマーであったこと、でも、本格的に山を始めたのは、三年前、燕山岳会に入ってからだということ程度は聞いたが、それ以上のことは知らない。
そういえば、とビジネスバッグの中を改めると、昨日忘れないように入れておいた遭難事故報告書はきちんと入っていた。今日はこれも長倉の両親に渡さなければならない。その冊子を取り出してパラパラとめくり始めると、またあの言いようのない悪寒が背筋を走り始める。吐き気を催す、あの悪寒。
目をきつく閉じ、冊子を机に放って頭を抱える。終わりのないトンネルの中で、悔恨、焦燥、不安、諦観、すべてが入り交じり掌握不能の感情に押し潰されそうになるが、あの遭難事故以来幾度となく襲いかかってきたこの時間は、ひたすら頭を抱えて耐えるしかないことは知っている。
しばらく頭を抱えていれば、徐々に緩んでくる。大丈夫、大丈夫と頭の中で言い聞かせながら、しばらくそうしていると、歪んでいた顔面も徐々に緩んでくる。そのうちに、いかん、こんなことをしていると約束の時間に遅れる、という現実的な思考も回り始め、やがて平静を取り戻す。
遭難事故報告書を再びビジネスバッグの中にしまい、そして机の上にばらまいた長倉の登攀道具も、また青いスタッフバッグにしまう。スタッフバッグの中に入れてあった茶封筒だけは戻さず、中から短冊形の便箋を取り出す。
そもそも、その青いスタッフバッグに入っていた登攀道具は、一度は長倉の奥さんに届けたのだが、奥さんはそれを送り返してきたのだった。茶封筒に入った手紙は、その時に一緒に梱包されていたもの。