「決心」、「実行」、「継続」

遠い昔の学生時代に恩師がくれた言葉を、的外れと知りながら、自分の中に蘇らせていた。

とにかく二人で何があっても生きると「決心」して、生命維持装置の装着を「実行」した。それでも生きて、まだまだ生き続けて、もう「継続」しかないと思った。途中での修正の選択はない。

それは、出口のない私達の不安と、責任感に対する心の葛藤の始まりになった。暗い底に沈んでいく気持ちを引きずり上げて元に戻し、妥協案を提示して、自分の心の命を繋いでいくことが繰り返されていく作業になっていった。

将来のことをいくら綿密に考えても、その時がくれば、多くの矛盾に気付く。整合性のかけらさえなくなっていて、結果的に自分の見通しがいいかげんであったことが、今までの私の人生にたくさんあった。だからこれ以上深く考えまい。つまずいたなら、そこで考えればいい。少なくとも最後には「するかしないか」「YESかNOか」の選択肢は、必ず残っている。

人は無意識のうちに、しかも瞬時に多くの深い瞬きを「一回するか、二回するか」して生きていると思った。

私は京子の病気が発症して以来、孤独と悲しみを背負い、すぐ落ち込む精神状態になっていた。しかし、京子を看なければならないという、義務感だけで心を平衡に戻していた。まるで、陰気臭い一人芝居をしているようだった。

私の未来に対する気力は、勢いを失いかけては、京子の命の息づきに慰められて、補充されていった。

「そうだ、風の噂で、君の入院を知った町内会の人達が、健康第一と、朝早くから散歩を始めた。きっとこれから、まだまだ広がっていく。すごい人の繋がりになって、みんな頑張っている。恩返しだって、一緒にしていこう」

「一緒ニ?」

京子はいぶかりながらも、思ってもみなかった明るい反応を示した。