「自分の家があるのに、何でそんな所に行かなきゃならん。京子なら言い出しかねん。性悪女ぁー」
私達の住む別棟に向かって、声を張り上げた。それは支えてくれていた夫と愛していた息子(私)を失った叫びだった。
「頼むから分かってくれ」
「お前は嫁と私の、どちらを取る?」
「そんな問題じゃない」
「よく分かりました。母親を捨てるということですね」
母は哀れな悪態をついた。京子も母も、家族に理解してもらえないストレスで身体中が膨れ上がっていた。
昔の母はこんなんじゃなかった。京子が得意料理を多めに作って持って行ったり、母がいい料理の材料があったと言って、たくさん買ってきて持ってきたり、互いにスープのさめない距離という関係で仲良くしていた。
「優しい嫁が来た。これで思い残すことはない」と母の自慢話を人づてに聞いたこともあった。それがいつの間にこんなことになってしまったのか。
子供から手が離れて、本来なら、親に対して優しくなれる歳になっているはずなのに、いつの間にか家族の歯車に狂いが生じていた。父が亡くなった後、すでに互いの優しさが生まれる、心のゆとりをなくしていた。
私が仕事にかまけて、京子と母の苦悩を理解して、仲立ちをしてやれなかったことから始まっているのだと思った。私は定年退職をして、再雇用され一年数カ月が過ぎた頃だった。
父が亡くなってから五年後、途中退職して、母の病院通いと、食事運びを担当するようになった。京子は母とのわだかまりで接触を恐れ、なるべく顔を合わせることを避けていた。
『私がもっと早く仕事を辞める決断をすべきであった。そして二人のストレスの軽減を図るべきであった』と、私は後悔した。
それからしばらくして、京子は心臓病を患った。