例えば、パチンコや競輪や競艇などギャンブルといわれるものは庶民的ということになるが、同じギャンブルでも競馬は諸外国では貴族の遊びとも言われているから別かとも思えるが、日本では、競馬も競輪も競艇も同じ公営ギャンブルの部類と評価されており、いずれも庶民の遊びと評価される傾向が強く、武田もまた競馬も庶民のものと考えている。

麻雀は知識人にも愛好者が多いものの、ギャンブル性が強く本場中国では庶民の遊びとして広まっていることもあり、武田も庶民の遊びと捉えている。ただ、一応相手ができるだけの知識は有していた。

囲碁や将棋は、時代によって評価が違うようである。囲碁は昔は貴族の遊びで、将棋が比較的新しい庶民の遊びと捉えられていたようだが、その後そのどちらも広く庶民から上流階級の人にまで親しまれるようになった。

ところが現在では、囲碁や将棋はプロと一部の愛好者だけのゲームとなり、庶民の手から離れつつある。武田としては、頭脳ゲームとして、そして知識人の嗜みとして、これも一応の知識は備えるようにしていた。

スポーツは線引きが難しいが、テニスやゴルフは、昔は上品なスポーツ、金持ちのスポーツというイメージが強かった。

ところが最近は、テニスは庶民からセレブまで万人のスポーツであり、ゴルフもサラリーマンにまで広く浸透した庶民的なスポーツとなってきた。ただ、それでもなお場所での差別化は残っていて、テニスコートやゴルフ場によって、庶民用かそうでないかが分かれるようになっている。

武田は、そういう価値観の中で育ってきたのである。

【前回の記事を読む】裁判を終えて自宅の官舎に戻り、そして漫画を描き始めた武田賢治。なんと、彼は裁判官と漫画家のギャッパーであった!

 

【イチオシ記事】突然の交通事故で意識不明の重体。目覚めると以前の面影が無いほど変わり果てた姿で…

【注目記事】「誰、どうして」…壁一つ隔てた部屋からかすかに女性の声が聞こえた夜