武田は、裁判官になるような者は、小さなころから、帝都大を目指して家でもすぐに机に向かうので、テレビなど当然に見ていない。その中でも特に、お笑いなんぞは低俗なものとして見たことがないのはこれまた当然であると思っていた。
武田は、読む本も文学全集とか専門書といったものに限られ、漫画なんてものは見たこともないし、興味もなかった。絵のある本は図鑑か、偉人の肖像画が載っている歴史の教科書くらいしか見たことがない。
たまに小説を読むことがあっても、名作と呼ばれた古典ものとか、芥川賞とか直木賞とかノーベル賞を受賞したものくらいであり、庶民の購買者層を対象としたような大衆向けのもの、特にコメディといった娯楽ものなど、全く興味もないし、そもそも読む時間が無駄と考えていた。だからもちろん、本書のようなものにも興味がない。
武田にとっては、全ては論理的で、知識が得られるとか自分のステータスに何らかの利益をもたらし得るものでないと意味がないものであり、それ以外のものは読む価値もないわけなのである。理にかなっていない世界など理解できないし、理解する価値もないから別に見る気にもならない。
武田にとっては、そもそも文字だけの本は高尚で、漫画は低俗と決まっているのである。同じ絵でも、絵画は芸術だが、漫画は低俗なのである。映像の場合は、テレビは庶民的だが映画は芸術的なんて区別もしていた。
要するに、武田にとって庶民向けのもの、庶民の娯楽は低俗というか、そこまでいかなくても、少なくとも高尚とは評価できないことになる。
こうなってくると、庶民が楽しむものは何でも高尚なものといえないと色分けしているようなのではあるが、ただ、ゲームになると評価が微妙になる。