〈カサンドラ症候群を知る〉
2018年2月ラインも受信拒否、話もできない。
そんなとき、ネットでたまたま「大人の発達障害」「アスペルガー症候群」という記事を目にしました。
そこに書かれていた人の言動が、夫にそっくりでした。しかも、そのパートナーに現れる『カサンドラ症候群』の状態が、自分そのものでした。
衝撃でした。
いままで誰にも理解されなかった、自分でも理解できなかったこの言いようのない違和感、精神的な不安定さ、身体症状、何から何まで自分に当てはまりました。
その日から、私は必死でカサンドラ症候群について調べ始めました。そして、たどり着いた「カサンドラ自助会」。自分がカサンドラ症候群だと気がついてから2週間後、私はカサンドラ症候群の自助会に参加しました。
「今日はみんなに聞いてもらえて、同じ境遇の仲間の話が聞けてよかった。だけど、何かが足りない。私はここで立ち止まっていてもいいのか」
このとき感じた違和感が、今日の私をつくりました。その日から、いままで滞ってた空気が流れ始めました。一枚一枚、重い鉛の布団を剝がしていったような感覚です。毎日が、自分の意識が、少しずつ変化し始めました。
それから、いつものように一人でこの先のことを考えるようになりました。何ヵ月か考え、私は覚悟を決めました。
もう大丈夫。私は一人でも生きていける。子どもも自分で守る。もう誰にも振り回されない。
こう決めた日のことは、いまでもハッキリと思い出します。なんてすがすがしい、爽やかな気分だったか!
ようやくこれで私も、自分の人生を踏み出せると思いました。それを夫に伝えました。
「離婚して会社も辞めてください。覚悟できました」
と。そのとき夫が放った衝撃の一言!
「今度はお前が俺を追い出すのか」
あれ? なんか話が変わっているぞ。この間確かに離婚したほうがいいと言ったよね?
なんで私が彼を追い出すことになったんだろう。もうわけがわからない。ですがもう、私は後戻りするつもりはありませんでした。このまま後戻りしたら、またあの日常に逆戻りする。そんなのまっぴら。そんなの生きている意味がない。
「会社を辞めてもいいから、その後別々に暮らしましょう。私は無職の大人を養うつもりはない」
私は夫にそう言いました。そうすると彼は、驚いたことにリュックにさっさと自分の荷物を詰め、嬉しそうに目を輝かせて一人旅に出たのです。まるで遠足に行く子どものように。
彼も私たち家族から解放されたのかなぁなんて思いながら、私たちの結婚生活って何だったのだろうと思わず笑えました。ウソみたいな幕切れでした。
そんな夫、父親の姿を、子どもたちとともに
「変な人だったねぇ」
と言いながら見送りました。
【前回の記事を読む】夫との関係修復にハイキングを提案。大荷物を抱え無言の登山、無言の肉焼きをするハメに。
次回更新は11月4日(月)、20時の予定です。