15才(中学3年秋~中学卒業)
1971年10月27日(水)~1972年3月16日(木)
1月16日(日)
久しぶりに教会へ行きました。雨が降っていたので父の車で弟の塾の行きついでに送ってもらいました。教会では雰囲気がとても淋しくて、私は涙もろいのでつい考えごとをするといつも涙がこぼれてしまいます。今日も恥ずかしい思いをしました。
何も泣くまでに意地悪をされたのでもなければ、悪口を言われたのでもないのに、私はもうとても悲しくて悲しくて、他人の目の冷たさや無情のことなどを思うと、がまんできなかったのです。
そして私という存在についても、とても不思議でなりません。一体人間という動物は何なのか。うわべだけの愛情、自己満足だけの愛。そして心の底からの本当の愛は、どこで作られるのか。とうてい私達には作ることができないものなのでしょうか。
心の中でいつも〝愛徳を行え!〟〝他人のことを考え、隣人を愛せよ!〟と命令のようにくり返される。
①だから私達は、しなければならないこととして愛徳を行なっている。そんな考えが出てきたのです。
では、②そんなことを知らず、ただ無意識のうちに愛徳を行った。しなければならないこととは別に、行ったということと①とのこととはどう違うのでしょうか。
私はよくこんな小さなことにこだわるんだけれど、②のほうがいいような気がする、といって①が悪いわけでもないのだ。私はしょっちゅうこんなことで悩まされるのです。
ア~ア、本当に純粋な愛を持っている人はこの世に今いるのでしょうか、本当の愛:純粋な清い、完全な愛を、私は求めていきたいと思います。
現在 12時43分すぎ
1月17日(月)
授業中のことをシスターに話した。後からよく考えてみると私の思いすごしかもしれないと感じたが、何となく不気味なので相談をした。
私はあまり人の悪口はすきではないのでそういうことは全く口に出さなかったが、私がまじめすぎて、他の人から妬まれてにらみつけられけているようでしかたがないのです。どうすればみんなの気持ちは落ちつくんでしょうね。
この前からずっと帰りに卓球をして帰っています。広田さんと村中さん、そして私です。広田さんは卓球経験が全然なかったのに、私達といっしょにやり出してから、とても強くなって私はとてもとても……恥ずかしいばかりです。
今日はめずらしく玉野さんもつき合ってくれました。広田さんや村中さん達のうまさにおどろいていました。久しぶりに二人で帰りました。では!
現在 11時31分すぎ