第四章 教育改革
(1)義務教育の見直し
義務教育といえば6・3・3制のうちの6・3の9年間をいうのであるが、日本の未来を展望した時にその9年間の義務教育という制度がこのままでいいのかというとそうではないと思う。基本的な義務教育の目的から改革が必要である。
戦後の日本における教育は、「生活・経験重視のカリキュラム」「系統・構造重視のカリキュラム(詰め込み教育)」「人間性重視のカリキュラム(ゆとり教育)」「生きる力を育む教育」と大雑把に言ってそのように推移をしてきた。ただ一貫しているのは、一律な教育によって落ちこぼれのないように子供を育てていくという基本に立って行われてきたと思っている。
しかしそのことは逆から見れば落ちこぼれない代わりに、突出した才能を伸ばす教育ではなかったのではないか。日本の子供たちの学力が低下を続けて低迷をしている。かつては数学について世界のダントツを走っていた日本の教育は諸国の追随を受け目立つ存在ではなくなった。
一つの例として、現在の世界の大学ランキングには日本の大学はトップグループに入ることができない(英国の教育情報誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」の「THE世界大学ランキング2021」による。ちなみに日本の東京大学は36位である)。
私は教育の内容を一律にすることも大事かもしれないが、個々に有する才能を高く伸ばしてあげる教育が今こそ必要ではないかと思うのである。
数学に才能を有する子供、科学に才能を有する子供、物理に才能を有する子供、医学に才能を有する子供、それが音楽だったり絵画だったり文学だったり、何でもいいのである。素晴らしく秀でた才能を開花させる教育を義務教育の段階から特別なカリキュラムの中で行っていくべきだ。
一律の教育だけでこれからの日本を担っていく優秀な若者を育てていくことができるのか。普通の一般的な子供たちはそれでもいいのかもしれないが、世界のトップを走っていけるような若者を育てていくには、特別な教育が必要ではないのか。このセクションの表題は義務教育の見直しとしているが、むしろ義務教育の目的の見直しといったほうが適切だろう。
私は、そういう意味で今こそ義務教育の見直しが必要だと考える。将来の日本の発展のために、子供たちの才能を大きく開花させるツールが必要なのである。
現在の日本には各都道府県に国立大学付属小中学校がある。それらを独立した国立の学校に変え、特別なカリキュラムを持たせる。そして特別秀でた才能を有する子供たちに世界のトップを目指す教育を施すのだ。予算は必要なだけ準備する。これらのことは今後の日本の発展を考えれば本当に必要なことであろう。